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「嫌い」なヒトはちょっとしたきっかけで、「どうでもいい」ヒトになる

過去、苦手だなって思っていたヒトがいたのですが、あるコトがきっかけで無関心なヒトになってしましました。

無関心はヒトに「孤独さ」を与えるからタチが悪いんだろうと感じたのと、わたしがヒトとどんな関係性をもちたいのか、ということを考えたので、パソコンを開きました。




パレートの法則「262の法則」

パレートの法則「262の法則」を知ってますか?
その理論によると、組織や人は3種類にわけることができるそうです。

パレートの法則「262の法則」によれば、どんな組織にでも自分に対して「好意的な人2割・どちらでもない人6割・好意的ではない人2割」がいることになります。

https://jp.indeed.com/career-advice/career-development/262-laws

あなたは、他人(ヒト)のどのカテゴリーに入りたいですか。
”好き(2割)” に入れればラッキー・万歳ですよね。
逆に、入りたくないカテゴリーはどこですか。
嫌い?それとも無関心?


愛の反対は憎しみではなく無関心

マザー・テレサの言葉です。
これの言葉に関連して「なるほど」って思ったnote記事を紹介します。

このnoteでは
好き⇔嫌い これは「高い関与度」があるから移動がしやすい
好き⇒無関心 逆方向は難しい
嫌い⇒無関心 逆方向は難しい

好き・嫌いはすごくエネルギーを使う感情だと思います。
さらにいうと、苦手なヒトと付き合う対処法を調べると、たくさんのノウハウが出てきます。
たとえば、その人のいいところを見つけましょうとか、反面教師にしましょうとか。つまり、「嫌い」といえどある程度の関わりがあるわけです。

無関心のひとに対しては、あなたは何か行動をおこすことはありますか。
わたしだったら何もしません。
だって、関心がないからです。

結果、「無関心からの逆転は難しい、嫌いよりもタチが悪い。」
そう思うに至りました。


ちょとしたきっかけが無関心につながる

わたしの場合、「嫌い・苦手」にエネルギーを使うことがばかばかしくなったら、無関心になる気がします。

認める努力(好きになる努力ではない)はしてきたのに
・その努力に対してちゃぶ台返しみたいなことをされる
・あきれるような行動をとられた
などなど、このようなことが繰り返されると、ある日一線を超えて、何も感じなくなる(つまり無関心のゾーンに移動する)という流れです。


無関心はわたしに孤独を感じさせる

無関心はネグレクト・児童虐待とも関係があるそうです。
わたしに無関心なひとが増えれば、わたしはきっと孤独を感じます。
でも、嫌われるのも勇気がいります。

わたしはヒトとどういう関係性を築きたいのでしょうか。
多分、答えは明確です。
少なくとも、わたしが好きなヒトからは、好きでいてもらいたい、ちょっとでも関心をもってもらいたい、と思っています。
だからこそ、好きなヒトに対してしては、一層の気配りや努力が必要なのかもしれません。

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