母になる
今年の夏に第3子を出産しました。
「母として」という言葉を聞いて、第1子を産んだ時のことを思い出しました。また、母以外のわたしについて少し考えました。
お母さんと呼ばれた日
第1子を出産したとき、
生まれた瞬間から突然『お母さん』と呼ばれて、すごく戸惑いました。
母になることに準備ができてなかったというわけではなかったと思います。
たぶん無事赤ちゃんが生まれた安堵の方が大きく、母という呼称をぼんやりとしか実感でなかったからです。
産後すぐから色々な疼痛と共に新生児育児が始まり、結局母になったという感情が追い付かないまま、自宅に帰ったように思います。
「つらかった」しか思い出せない暗黒期
夫と二人で始まった初めての育児は、思い返しても「つらかった」その感情しか、思い出すことができません。
室内の少しの移動も大変(会陰切開、痔など)で、離れたところから赤ちゃんに泣けば、そこに向かうのも苦痛。
それに加えて、まとまって寝れない、ギャン泣き、授乳問題(完母?混合?など)、ホルモンバランスによる精神的な不調、これらが影響して過酷な生活でした。
そして、夫婦間では、わたしの精神的な不安定さが夫にも影響し、何かがかみ合っていない2人。
そんな状況の中では「我が子がかわいい」という感情は生まれず、
「母としてこの新生児を死なせてはいけない、守らなきゃいけない」
「この子の成長はわたしの手にゆだねられている」という使命感と、
産後のボロボロでヘトヘトで「育児から離れたい」こんな真逆の気持ちをもっていました。
正解はスマホに?
育児に関する悩みはつきず、ネットで検索をする日々でした。
わたしの妊娠・出産に関する医学知識は、産後、ネットの育児情報や他人の経験(n=1)に置き換わりました。
正解がないはずの育児に、医学と同じよう正解を求めからです。
複数の友人にも連絡をしましたが、満足する「答え」はくれず、むしろ「この時期をたのしみなよ」という(わたしにとっては)トンチンカンなアドバイスをいただき、新生児期は特にノイローゼ気味だったと思います。
だから、2週間検診のときに、びっしりに書かれた育児ノートを見た助産師さんに『頑張りましたね』と言われ、涙が自然とあふれてきました。
インスタのフォローは手作りの離乳食、モンテッソーリ教育、同じ年代のママさんに関連するアカウントがどんどん多くなりました。
すべては同じようにはできないが、これに近づくにはどうしたらいいのか?、そんなことをずっと考えていました。
「まぁ、いっか」と思うこと
しかし、生後半年ぐらいたって、家族以外の人と話す機会が増え、職場に復帰して、自分のことで忙しくなってくると、育児や母像に対するこり固まった『こうあるべき』という執着が少しづつなくなってきました。
さらに、子どもが増えるとともに『これくらいでいいや』に変わっていったのです。当たり前ですが、子どもはみな同じではなく、家庭環境も考え方もみんな違います。
もちろん、今でも理想はあります。子どもを尊重できる母になりたい、理不尽に怒らない母になりたい、などです。
わたしの余裕のなさからくる理想とのギャップによって、しょっちゅう自己嫌悪に陥ります。反省の日々です。
だけど、ずっと落ち込み続けている時間もなく、気持ちを切り替えて、母として日々格闘技しています。
母以外のわたし
そんなふうに母として生活している中で、「母以外のわたしはどこにいった?」と思うこともあります。
とはいえ、子どもと離れて仕事をしていも、ひとりでカフェにいっても、育児という行為からは離れることはできても、母であることは変わらないし、頭から子どものことが完全になくなることはありません。
発信活動をしていても、子どもに関する内容は自然と増えますし、ママさん・パパさんとの交流も多くなります。
自分を大切にしたい、自由にはつらつとしていたい、と思っているのと同時に、やっぱりわたしは母であるとも思っているのも事実。
この2つの感情は、マーブル模様のように混ざっていて、色の濃さも分量も常に変化しているような気がするのです。
いまは、母としてのわたしを意識することが多いですが、ライフステージが変化すれば、母ではない自分を感じる場面の方がふえるでしょう。だから、それに備えて母以外のわたしを、今から見つけて育てていかない、そう思うのです。
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