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15年のメッキが剥がれる時が来た


実は、私は根暗だ。性格が非常に曲がっている。

“実は”とか書いちゃうところが凄く嫌だし、それをこうしてきちんと補足しているのも嫌だ。

ここまでのたった65字で私がどれだけ面倒な人物かバレてしまうだろう。私は可能な限りそれが漏れ出ないよう気をつけて生きてきた。それも15年前から。それまでは、自分の性格の悪さにそこまで気づけていなかった。

だからちゃんとそれに気づいた時、愕然とした。

それからというもの、その前までの人生を回収しようと意識して動くようになった。


強くて、明るくて、健やかな人間

それが私の大体の理想だ。その理想で自分をコーティングして生きれば、そのうち本当にそんな人になれるのではないかと思っていた。


でもやっぱりこういうのってバレる。
性格の悪さがところどころで滲み出てしまう。
その度にめちゃくちゃに嫌われた。もう会えない人もいる。


だから、本当に強くて明るくて健やかな人を目の当たりにすると逃げたくなる。実際、かなり逃げてきた。

反対に、私と同じ性格の悪さを人に見つけると安心した。でもそのほとんどが『性格が悪いバージョンにもなれます』くらいの人で、本当に性格が悪いというよりは人生経験の中で“そっち側とも気兼ねなく話せる”スキルやセンスを手に入れた人たちだった。


私は違う。根がよろしくない。
そんなんだからいつもどこか独りだった。


しかも厄介なことに、“コーティング”を長らく続けてきたせいで、剥がし方がわからなくなってしまった。そういうのって、上手に剥がせないとシールのように汚く残る。私は剥がせそうなところを時々見つけては引っ張り、その都度もれなく失敗した。

腐りきれない

「あんたの性格が悪いのは確かだけど、腐りきってはいない」と友人がぶっきらぼうに言う。「その証拠にちゃんと傷ついてるもんね」「腐りきっちゃえば楽なのに」とも。

剃りたての肌にリキッドファンデを塗り込みながら、こちらをちらりと見るその冷ややかな目に、私は何も言えなかった。

確かにそのとおりだ。でも言い当てられただけではどうしようもない。巷で有名な占い師に見てもらった後のような気分だった。

その友人は、毎晩のように新宿2丁目に溶けていく。私も追って、酒を呷った。しかし私はアルコールにめっぽう弱い。どんなに嫌になっても、神様は私をそっちへ逃してはくれないのだ。人間としての初期設定が残念だ。

私は、腐りきれない自分を朝まで見つめるほかなかった。

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逃げられない一年間

そんな中、私宛てに変わったオファーが舞い込んだ。

とあるオーディションの審査員。何千人もの人が挑戦する、大手出版社主催のプロジェクトだ。見た目やジャンル、ジェンダーロールに捉われない新しいオーディションで、私ももちろんその存在を知っていた。

様々な葛藤がありながらも、結果として私はそのオファーを受けることにした。

が、それが全ての始まりだった。

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始まってからすぐに、今まで向き合ったことのない膨大な人数が目の前に現れた。当たり前だ。これはオーディションなのだから。

でも何かが違った。
このプロジェクトにおける選定基準は決して容姿だけではない。面接の場での言動だけということもない。書類だけで判断することはできない。私は2,676名の応募者 一人ひとりと対峙することとなった。


そして、オーディションを受ける人、つまり私が審査をする相手は、全員とんでもなく凄かった。“凄い”の種類は色々とあるが、とにかく一人たりとも見逃せない、独特の熱量がそこにはあった。


私は逃げ出したくなった。

それは、“強くて明るくて健やかな人を目の当たりにすると逃げたくなる”あの時の感覚に似ていた。目の前の挑戦者には、弱くて暗くて病んでいる人もたくさんいた。でも、そんな人ですら私には眩しすぎた。

目の前の人が、逃げずに挑んでいる。そのことが“強くて明るくて健やかな人”以上に私に問いかけてきている感じがした。こちらが見る側なのに、じっと見られているような気がしてならなかった。


逃げたい。今すぐに逃げ出したい。


でもこれは仕事。

オファーを受けた身として、おざなりにして去るわけにいかなかった。私は一年間、挑戦し続ける彼女たちを見つめた。そして見つめ返された。終始、ある種の修行のような気分だった。


その時のことは、私個人のnoteに記している

卒論のようなもの

この一年の“修行”は、私のコーティングを少しずつ剥がしていくものだった。

ゆっくりと除去剤をかけられ続けているような、じわじわと熱を加えられ続けているような、四方からやすりで擦られ続けているような、そんな感覚だ。

正面から剥き出しでぶつかってくる魂に呼応するように、私の正体がどんどん洗い出された。逃げ出したいと思った自分が恥ずかしかった。



すべてが終わってから私は、卒論めいたものを書いた。そのプロジェクトの結果発表が“卒業式”というタイトルだったので、それに寄せて。


プロジェクトの長である小林司さんもこれを最後まで読んでくださったようで、こんなことを言ってくださった。


「まさかの」って言ってくださっている部分は、後半の5,000字のことだと思う。その部分を会員限定部分として隠したことが、まだまだ自分にこびりついてる弱さや愚かさだと思う。

でも今はこれが限界。
あの会員限定部分の手前の数行も隠してしまおうと思ったくらい、顔から火が出そうな思いだった。長年コーティングしてきたものが剥がれた後は、ものすごくヒリヒリする。


でも書けて良かった。
読まれて良かった、とも思う。


文章を書くと、それがどんな内容でも、自分の至らないところが目に見える形で現れる。明るいものを書く時だってそうだ。だからこそ、自分のダメな部分を文章にしようとするなんて、ものすごく苦痛を伴う行為だと思う。


それを自分に課したこと、そしてそんな思いまでして書き上げたものにそこまでイイネがつかないことも、正に人生って感じだ。



あの修行はここまでやって、やっと完了と言えるだろう。


書き手:赤澤える(Flat Share Magazine)

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