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ワクワクすることをサボらない。

先日、そんな言葉を耳にした。

ワクワクしようぜ!とか、面白がれる人になろう!とか、
そうゆう力んだ感じが、正直少し苦手な時もある。

でも確かに最近、ワクワクすることをサボっていたなと、
その時ふと反省したのだ。


書き手:キルタ(Flat Share Magazine)
Photo by Kazuki Takahashi



仕事柄、
誰かの話を聞いたり、相談を受けることが多い。

慣れとは怖いもので、

「そのアイデアはちょっと違うかなー」とか
「個人的にはあまり面白くないんだよなー」とか
「それってもう既に存在するよなー」とか
「面白いけど、現実的に考えたら難しいしなー」とか

聞きながらに思ってしまう自分は確かにいる。
忙しくしている時は尚更だ。


そんな心の内が、顔にも出ていると思う。

アイデア出しの打ち合わせ中そう思っている人の顔は、何か言いたそうだけど一旦その人が話すターンを終える事に徹している人の顔は、すぐにわかってしまうもの。

複数人いる場で、気まずそうにしている人はやけに吸うタバコの本数が多いなとか、不意に指や足が ”貧乏ゆすり” してしまっている人、初対面の人と話す時に腕組みをしてしまっている人、普段自分が見ているからこそ、自分もきっとそうなっているんだろうなと後から思いだす時もある。


「だったらこうしよう」と言う前に、まずはその人と同じワクワクを感じてみたい。とはいえ、グッドバイブスとも言うように、それぞれの熱が高まる持つ周波数は違う。その波を、チューニングすることをサボっているのかもしれない。

同じ波形でも、ぶつかる点によっては弱め合うことも、強め合うこともある。会話する声にも波はあって、ほとんど水分の人間の身体からも何かしらの波は出ているし、見えている視界、光だってすべて波だ。

この世のすべては、あらゆる波がぶつかり合って、干渉し合い、膨張したり、縮小したり、共感したり、反抗したり、かたちを作ったり、消し合ったりしながら、進んでいるんだと思う。


自分にとって確かな波を感じてしまうと、きっと安心して波を崩したくなくなる。その恐れが、あらゆる波の中で自らを調整し続けることを諦めてしまう。

ワクワクすることをサボらない
とは、つまりそうゆうことなのかなと思う。

渦巻く日々の中で、自分の揺らぎと共に在りたい。

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