この夏は、人生で一番の夏だった。
これまでの人生で最も失って、最も得た、一番の季節だった。数々の出来事を通してたくさんの感情を味わった。誠実にも、不誠実にも、同じぶんだけ出会った。私は色々な愛の形をしった。
その中で私は、あの日の恋人を思い出した。
彼は仕事に命を燃やす経営者。
私はこの夏、彼の言葉をなぞるように過ごした。
Flat Share Magazine、いつかこんな場を設けてみよう。そう思いついた時にも隣にいたあの人。この部屋の鍵を返す前に、彼の言葉をここに置いていこうと思う。
最後の大きな独り言だと思って読んでほしい。
港区女子でもないのに
出会いは港区 赤坂、季節は冬だった。
当時の私は、真っ赤なスタイリングがトレードマーク。髪は赤く染めたボブカットで、365日いつでも全身赤色だった。
彼と出会ったその日ももちろん、この姿。
おそらく赤坂の地にそんな人は私だけだった。
細かいことは割愛するけれど、彼から「付き合ってほしい」と言われたとき、私は彼の職業も立場もよく知らなかった。
誘われる場所は西麻布や六本木、銀座ばかりだった。そのことも、入るお店の雰囲気も、私の好みとは違っていた。しかしそれが当時の私には新鮮で、こういうところを好む人なんだな、私とは違う人だな、おもしろいな、そんなふうに思っていた。彼の社会的地位が気にかかるタイミングは特になかった。そんなことより、よその国に遊びに来たような感覚が楽しくて、私はいつもキョロキョロと観察していた。
今振り返ると、彼は時計にも車にもブランド物にも興味がなかった。どこの誰と仕事をしたとかの自慢話を重ねることも特にないし、選ぶ店もお世話になっているというどなたかの紹介で、SNSやガジェットなんかにも疎い。
「どこそこの常連」とか「誰々が知り合い」とか、「俺は君よりすごい」みたいな言い回しで会話を進めないし、必要以上に自分を大きく見せようとしなかった。
でも自信のなさは少しも感じさせず、仕事が好きで頑張っていることは伝わってくる、そういう人だった。
そんなわけで、
私は彼のステータスには一切気づかなかった。
でも気づかなかったのはそれだけではない。
私は彼の好意にも気づいていなかった。
彼の仕事
ふとした時に聞いてみると、彼は
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