【神保町の生活史 #1(前編)】募集要項として私が1つだけ持ってきてくださいって言ってるのが、「神保町が好きなこと」なんです。
__お生まれからお聞きしたいです。
私の生まれは、群馬県の藤岡市なんですけど、群馬県ってスリッパ代わりにみたいに車を使う。1人1台車で移動するぐらい。まあ何もないから、移動手段が車しかないんですよ。で、子供が歩ける範囲に少なくともまともな本屋はなかったんですよ、私は、あはは(笑)。
よく田舎のスーパーとか行くと、レジのところに、主婦の友社の雑誌とか置いてたりするじゃない?もうあの一角ぐらいしかない、何か本を読みたくてもなくて。
何読んでたかなと思うと、私の実家が床屋なので、お客さんの待ち時間を潰すために漫画が置いてあるんだよね。
で、漫画はジャンプやコロコロコミックとか、毎週毎月届くものを定期的に本屋さんから取っていて。それを読める。
私が唯一読める本は、兄の部屋にある小説とか椎名誠のエッセイ、星新一とか筒井康隆とかSF系の小説とかを、読んだり。
高校生になって1人で東京来るようになって、八重洲ブックセンターにすごいいっぱい本があるのが嬉しくて、とにかく買い溜めしていって。
その中に神保町の情報が載ってる雑誌、たぶん「東京人」を買ってきて、東京には本屋しかないような町があるんだってすごく憧れた覚えがあって。
なんか人間ってほら、ないものに憧れる部分ってあると思うんだけど。子供の頃に、周りに環境がないから、神保町にすごい憧れて来たんだなっていうのを思い出しました。
雑誌に登場してくるその古本屋さんの店主さんとか、面白い本がいっぱいある街があるっていうのに憧れていて。だから私、就職するなら神保町の近くがいいと思ってて。
でも私が最初に勤めたところは残念ながら西神田だったんです(笑)。
西神田で再開発があって、九段下のビルに移るんだけど。最初の頃は仕事が5時半に終わるとすぐに神保町に行ったんですよ。
ただ、神保町の本屋って6時で終わっちゃうんで。だいたい。
__そうですよね(笑)
移動を考えると、神保町にもうなんか20分ぐらいしかいられなくて。
私すごく方向音痴なので 1回行った店にもう二度と引き返せないみたいな(笑)。あの幻の店はどこだったけって?(笑)
__神保町に関わり出したのは
すずらんまつり。あそこで私の人生が変わっちゃったんですよ(笑)。
絶対「おさんぽ神保町」を出すってあんなに強い気持ちになったのは人生で初めてのことで。もうないです。あれ以上のことはないです。
__「おさんぽ神保町」を始めようと思ったきっかけは
私が元々最初に勤めた製版会社の中で、企画室を立ち上げていたんですけど。
製版会社って、1冊の本を作る上で、最下層なわけですよ(笑)。企画を立てる人がいて、出版の人たちがいて、制作会社があって、1番下に製版会社があるんですけど。
でも、自分たちで最終的に製本したり、デザインしたりとか、形にすることができる。
だったらそのノウハウを生かして、企画とか制作を自分でするようになれば、1社で全部それができる訳じゃない?その工程の間に噛ませてるものっていうのが省けるから、安くもできるし。
業界の最下層から、下克上じゃないですけど(笑)。
それぐらいの、気持ちを持って、私は企画を立ち上げていたんですけど。
そのタイミングで、神田すずらんまつりというお祭りに参加する機会があって。で、その時に、今の「おさんぽ神保町」の企画を商店街に出したんですけど。
__すずらんまつりに参加っていうのは何をやったんですか
1番初めは、玉こんにゃくとかを売ってましたね。
__働いていた製版会社として?
そう、出店して。
元々神田すずらんまつりってお祭りは、出版社の労働組合の人たちが始めたお祭りなんですよ。
だからお祭りっていうよりも、彼らの運動の一環として始めていて。お祭りの最中に労働組合の人たちのチラシを配ったりとか、全然あったし。
__へええ
その労働組合の人たちが、すずらん通りでイベントをやりたいっていう企画を商店街側にも持ち込んで。で、商店街も最初押されるような形で始めたんだけど、20年やっていく中で、商店街にとってもなくてはならないイベントになってたし。ずっと続けていきたかったんだけど。
皆さん神保町は、勤務地があるから来てる。その人たちが40代ぐらいで始めて、私が一番初めに入ったのが第20回だったんですけど。もう定年なんで、そろそろもうお祭り自体やめにしようっていう雰囲気だった。
それまで私は本当に無気力、無関心、無感動の人間で(笑)。毎日会社行って帰るだけで。この地域で何がされてるのか全然知らなかったけど、その人たちのすごい熱量に触れて。
神保町を守りたいと思ってる人たちがいるんだっていう、すごく感銘を受けたんですね。
先輩たちは、自分たち定年するからもう辞めるって言ってたんだけど。私はそのタイミングで入ったので「辞めるなんて言わないでくださいよ」って感じで(笑)。「跡継ぎますから」みたいに言って。
でも、先輩たちはそういうのは望んでいなくて、「やめるっつったらやめるんだよ」って。
でも、この辺の地域には大学もあるし、若い人たちで関わりたいって人もいるんじゃないかなと私は思っていたので。
運営する側は我々とか商店街だとしても、当日は若い人たちの手を借りてやっていけないことはないと思いますって。
__石川さんが言ったんですね。
うん、そうだね。だからすごい嫌がられてた(笑)。めちゃめちゃ嫌がられてたと思うけど。
でも商店街側はやっぱり続けたかったので、あ、そういうことを言ってくれる人がいるんだったら、やれるかもってやっぱり算段があったんだよね。
だからあの頃は、その先輩の方たちも(私を)うざったいと思われてたと思うんだけど、(すずらんまつりの)21回までは一緒にやってたんですけど、22回以降はもう1人減り、2人減りみたいな感じで。その方たちはいなくなってしまって。
それで今のお祭りのような形態になったんですけど。私こういうことやってると凄くお祭り好きみたいに思われてるんですけど。お御輿担ぐのとかは全然私興味なくて。
__興味なかったんですか(笑)
群馬の生まれだし全然神田の江戸っ子でもないので。でもお祭りと言っても、労働組合の人たちが、準備の会議の時とか「これは楽しいイベントをする会議なんですか?」っていうぐらい、激しい討論をするのね(笑)、すごい。その様子を見てて、なんかすごく神保町らしいなって。
__あ〜、なんか良いですね
神保町に住んでみて、色んな側面を感じるけど、お祭りが大好きな江戸っ子の、神田っ子たちの集まる神保町って顔もあるし。下町的なあの何でしょうね。距離の近い近所付き合いとかもある。
でも(その討論する姿は)本の街としての神保町そのもので、本が好きな人たちがお祭りやってるっていうのがすごく興奮した。
版元の人たちとかの熱量があったから、こんなにはまったんだなって。
最初に「おさんぽ神保町」を立ち上げた時も、岩波書店の方たちも、すごく後押ししてくれて。
最初はフリーペーパーっていうよりも、すずらんまつりに来てくれた人たちが、もう1回商店街に来てくれるような、ぺら1枚のクーポンのようなものとか作れればいいかな?ぐらいに思っていたんだけど。
でも商店街の人は、やっぱり神保町で作るんだったら、どんなにページが少なくても、1つの小冊子として作られてるものがいいってふうに思っていて。
ペラの紙1枚作ろうと思ってた人間としては、ちょっと一気にハードルが上がりましたよ。それで結局今の「おさんぽ神保町」の形になりました。
神田すずらんまつりを特集している媒体が出るなんて、(神保町の版元の)先輩たちは思っていなかったので、結構喜んでくれましたね。本の作り方を教えてくれたりとか。
__「おさんぽ神保町」自体は小さな冊子から広がったんですね。最初はスタッフは何人だったんですか。
最初は私がいた九段下の製版会社で始めました。最初に何人だったかはスタッフクレジットもないし、覚えてる限りだと、7人ぐらいだったと思いますね。
それまで本とか作ったことのないような、ずぶの素人だった私が、できるって完全なる思い込みで始めたものなので。
皆さんも私もやったことなかったし。ただ(製版会社なので)デザイナーもいたしね。製版もできるから何とかなるんじゃない?みたいな感じで始められたんですけど。
第1回はそのような形で出したんですけど。
その当時の(製版会社の)社長も応援をしてくれてたんですけど、やっぱり企業の中でやるには採算が取れるようにならなきゃいけないですね。うん。それが取れなかったですね(笑)。
会社としては、採算ベースに乗せてほしいと思う。でも、商店街側があんまりそういうのだとつまんない冊子になるから、そうじゃない方がいいって思って。
結局それで会社の中で関わってくれる人が、1人減り、2人減り…ずっと一緒にやってくれてたのは、私ともう1人くらいになっちゃって。
その後はもう外部の神保町が好きな人が集まってやるようになって。
__神保町が好きな人たちが作る雑誌になったんですね。
媒体を作るということで、普段はお客さんとしてしか話せなかったりする人と、取材をする名目でお会いして、ゆっくり話をする中で、挨拶できる人が増えたり。関わりたいと思ってても関われなかった人たちが、地域と関われるようになったり。
媒体の出来っていうよりも、人との関わりを重視してたところがあって。学生さんとかも手伝ってくれて、場づくりというか、そういうつもりでやってたので。
募集要項として私が1つだけ持ってきてくださいって言ってるのが、「神保町が好きなこと」なんです。
結局、私もゼロから始めてるからやる気さえあればできると思ってるんですよ。
ただ、神保町が好きじゃないと辛くなる。技術とかがあることより、「神保町が好きな人」。それはずっと変わらないですね。
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後編は、コチラ👇
語り手:石川恵子
聞き手:蒲大輝、魚住明日香、三尾真子
編集:蒲大輝、魚住明日香