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【文フリ東京38】メンバー出店ZINEのご紹介

明日、退学届を出します。

そう言えたなら、どんなに楽だったことか。


私は大学生である。大学進学率が全国最低の県から上京してきて、かれこれもう3年になる。

小さな頃から、東京は一つの憧れであった。四方を緑に囲まれながら生活していた田舎者の私の目に、東京は、まさに夢の国として映っていた。

そういうわけで、私は東京の大学を目指すことにした。苦しい受験勉強も何とか乗り越え、無事に進学できることが決定した。一昨年3月のことだ。


入学当初の私は、新環境への期待に胸を膨らませていた。そして、夢を持つものを圧倒的な魅力で引き込まずにはいられない、蠱惑的な「東京」での生活を謳歌しようとしていた。

渋谷の桜はきれいだった

私の期待は、すぐに裏切られた。

「新環境」は、それほど新しいものを私に与えてはくれなかった。
「東京」は、煌びやかなネオンの下に、排除と選別の生々しい現実を隠していた。
今までと何も変わらない、極めて平板な日々が、私を待っていたのだった。

単に平板なだけであれば幸せだったかもしれない。
しかし、大学生であることによって生まれる情況は、幸せな方向へは、私を必ずしも導いてはくれなかった。

大学での人間関係は、良くも悪くも薄い。しかしながら、薄いなりに関係を保っておかねば、私はキャンパスの中で孤立してしまうことは明白だった。
私は、人間関係を作ろうとした。そのために、慣れない「大学生ワード」を使い、自分でも作り笑いだと感じるような笑いを浮かべ、不自然なイントネーションで興味が少しも湧かないような、間を持たせるためだけの会話を重ねた。

日々目に飛び込んでくるさまざまなメディアは、「他者からのまなざし」に対する過剰な意識を生み、それを無理やり解決しようとするマッチポンプ・コンテンツで、常に私を汚染し続けていた。
「清潔感のなさ」を過剰に煽り、脱毛や「垢抜け」へと執拗に煽り立てるコンテンツ。
「⚪︎⚪︎ウケ」を過剰に煽り、誰もがやっている無難なファッションや無難なコミュニケーションへと不断に駆り立てるコンテンツ。
「『普通』から外れた者への目線」を過剰に煽り、やりがい搾取のインターンや異性愛規範、ロマンティックラブ・イデオロギーへと強引に押し込めるコンテンツ。
今となっては鼻で笑ってしまうようなこうしたコンテンツに、私は日々ぐっしょりと漬けられ、他者からのまなざしを過剰に意識した窮屈な生活を送ることになった。

私は、さまざまな社会問題について現場に直接赴いて考えるというゼミに入っていた。
社会問題の現場は、私が思っていたよりずっと深刻で、ずっと辛くて、ずっと残酷だった。
その活動の中で私は、自分の拠って立つ足場への疑問を、否が応でも抱かざるを得なかった。私は学生であり、何を自分の手で生み出すこともなく、ただただ社会問題を、ショーウィンドウの外側から、安全な位置から眺めているに過ぎないのではないか。
私が好き勝手に物事を論じられるのは、私の生活の基盤が何ら脅かされてはいないからではないか。
そうした位置-「学生である」というその立場から社会を語るのは、単に無責任であるというだけでなく、社会問題を生んでいるその構造自体に、無意識のうちに加担しているのと同じなのではないか?

明日、退学届を出します。そう言えたなら、どんなに楽だったことか。
けれど私には、そんな勇気はなかった。


大学は、大いなる「自由」を私に与えてくれた。
しかし、私はその「自由」を、どう扱っていいものかわからなかった。
私は「自由」を、持てあました。
「自由」を活かせている友人を見ては、己の現状と比べ絶望していた。

「自由」な大学生活は、私を「自由」から引き離し、縛りつけたのだった。

理想と現実のズレ、まなざしへの恐怖、自らへの幻滅、他者との関係に対する苦悩、学生であることへの葛藤、大学で展開される授業への疑問……。

すべてに嫌気がさし、私は大学に行かなくなった。


昼頃に起床し、軽くシャワーを浴び、また寝て、夕方頃に起きて、スマホを触って、本を読んで、何ご飯だかわからないご飯を食べて、朝5時くらいに寝る。気が向いた時は散歩をする。あるいは映画を見に行く。

そんな生活が、5ヶ月ほど続いた。

全くもって無為の生活である。アンニュイが隈なく満たす六畳半で、私は誰とも話さない孤独な日々を送っていた。

何を生産することもなく、かといって勉学に打ち込むわけでもなく、目的を設定することもなくただただ、ただただ、

生きている。


あるべき大学生像があるとするならば、それがこのようなあり方でないのは明白だろう。
孤独で頽廃した生活は、人を堕落させることもまた、明白だろう。

しかし、その孤独が、その頽廃が、私にはなんとも言えず、心地よかった。
私の生活は、その孤独と頽廃によって、無限の思索の時間を与えてくれた。
私はなぜ生きているのか。これから何を頼りに生きていけばいいのか。他者とどのような関係を築けばいいのか。私を追い詰めた「敵」はいったい何なのか。私は何を学ばなければならないのか。


私は考えた。そして書いた。
苦悩と煩悶を、文章の形にして残した。
ある程度書いたものが溜まってくると、私の中に微かな自信が湧いてきた。
あれが一体どういう種類の自信なのか、今の私には見当もつかないが、熾火のようなその自信を、私は何となく絶やしてはいけないものだと感じたのだろう。

私の苦悩と煩悶は、文章として立ち現れた。テキストが作者からは離れて解釈されるという、宿命的な独立性を持っている以上、その文章はすでに、もう一人の私である。

もう一人の私としての文章--それこそが、『ダイヤモンドへの叛逆』であることは言うまでもない。

全ては、私の、あなたの思考を停止させないために。

二十歳の私の煩悶の場へ、

ようこそ。



追記
当日は、第一展示場R-05でお待ちしております。学生の方は少しお安くしていますよ。

snowdrop

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