催しの中止を当然とか英断だとかは軽々しく言えない
2020/12/21の18時にCOUNTDOWN JAPAN 2021の開催中止,ならびにRADIO CRAZYの2020年内の開催断念と延期検討が発表された。
外でスマートフォンを止まりながら操作している際にその情報を知って呆然となった。
COUNTDOWN JAPAN 2021については目に見えない大きな問題の状況を鑑み,参加を断念していたがいざ中止となるとショックが大きい。
そういった中でSNSを観ていて個人的に感じていたモヤモヤがようやく言語化できた。
「今の自分はライブなどの催しの中止が当然とか、英断とかは軽々しく言えない。
ライブに限らず何でもそう。
人の数だけ楽しみや生きがいがあって、そこに付随する人生や生活もある。そこを忘れたくない」
よくライブに限らず,演劇やスポーツや各種イベントなどが中止になると「当然」だとか,「英断」だとかという言葉をよく見かける。
その度に「んー…」とモヤモヤしていた。
自分も今年の2月下旬から行く予定にしていたライブやフェス,音楽以外のイベントが多く中止や延期になってしまった。
先述のCOUNTDOWN JAPAN 2021もそうだし,1月に開催される予定だった好きなバンドのツアーも形式変更の関係で地元での公演がなくなってしまうなど今もなお続いている。
個人的には楽観視や何かや誰かを軽視はしていないが,ライブなどの催しが中止になっても「当然」だとか「英断」だとかは軽々しくは言えない。
それは,その催しを楽しみにしている人たちはもちろんのこと,その催しに携わっている多くの人たちの事を考えると軽々しく口にすることはできないと個人的には思うところだ。
音楽フェスについても,来場者はもちろんの事,主催者側・アーティスト・出店関係者・施設関係者など多くの人間やことが関わってくる。
当然そのフェスに関わってくる人たちの人生や生活というものが当然あって,数ヶ月前中には1年前からその日を楽しみに日々の生活や人生を送っている。
そういった人の数だけの事を思うと,催しの中止を「英断」や「当然」という言葉で軽々しく片付けるのは違うのではないかと思う。