正義,力。 〜PSYCHO-PASS第16話から
PSYCHO-PASSの第16話にパスカルとオルテガが出てきたので,少し。
◇ PSYCHO-PASS というアニメ
PSYCHO-PASSでは,シビュラシステム(正義)とドミネーター(+執行官)(力)がセットになって社会の安寧秩序を維持することが前提になっている。シビュラシステムは「悪」であるかどうか,どの程度「悪」であるかを独自の価値判断で数値化する。一種のAIだ。しかし,「人工」だが「人間」でできている(このことは実際に最後まで見ていただくと分かります)。
この数値が犯罪係数と呼ばれ,その数値が高ければ高いほど「悪」とされる。シビュラシステムは人間ではなく科学的合理的存在であり,科学的な合理性に基づいて善悪を判断する。
犯罪係数が一定以上にあると判定されると,排除すべき「悪」と判断される。ドミネーターを当該人に向けることで判定される。その判断は段階的ではあるが,最終的な執行モードには排除(抹殺)があり,実際に排除される。
◇ 狡噛と槙島
第16話の中で,その槙島が狡噛に,「正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしている。そのため人は正義に力を与えることができなかった」という。シビュラシステムは正義の側だが「悪」を前にして力がない,力が正義に反対しているのであり,自分は強い力の側にいて「正しいのは自分だ」というのである。
これに対し,狡噛は,槙島に「俺は誰かがパスカルを引用したら用心すべきだということをかなり前に学んでいる」と返すと,槙島は「オルテガだな」と返す。
このシーンはとても面白い。
狡噛が槙島をドミネーターで狙うも,ドミネーターは何の反応もしない。しかし,狡噛が槙島に,いきなり「この野郎」などと怒鳴って殴りかかるわけでもない。パスカルの言葉とオルテガの言葉を交えて会話をさせて上手く視聴者の知的好奇心をそそりながら,二人の静かな対決を描いている。シーンと対比すると,とても洗練されたシーンになっている。
そして,二人は殴り合いを始める。が,この場面では決着はつかない。
◇ あらためて「正義,力」
パスカルが「正義」について述べたところはとても興味深い。おそらく古今東西,歴史は,「強いものを正しい」というのと「正しいものは強い」というのとの相克の中で揺れ動いてきたのかもしれない。真理はどこにあるのかよく分からないが,個人的には「正しいものが正しいものとして強くあるべきだ」と思うし,こちらに軸足を置くべきだろうと思う。「強いものを正しい」というときは,その本質を良く見極めないといけない。
そして,やはり,大事なことは,何をもって「正しい」「正義」と判断するか,かもしれない。
いろんな人がいろんな「正義」を説いている。しかし,未だに「正義」はよく分からない。このテーマは壮大すぎるし,とても難しい。時代によって「正義」は異なる。「正義」をある程度具体的に一義的に定義づけることなど不可能のように思われる。
しかし,随分と過去の時代から存在している人間にとって大切な,重要な価値があり,これらが正義に繋がるもの,そのベースになるものと考えられていることは確かだろう。自由主義,立憲主義,民主主義,人権主義等。
この正義に繋がる価値を探求し,時代に即応したかたちで実現することが大事だと思う。そのために必要な手続を整えて,推進していく力が大切にされるべきだろうと思う。(了)