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人は恋をする、何があっても #25
ドンブラコから河岸を変えた。行きつけのバーに行くのだ。あの女性(ひと)に言った。
「もう一軒呑みに行くよ。行く?」
「この間のバーですか?もちろんですよ。行きますよ」
「じゃ、決まりね」
バーにはほどなくついた。今日はスタートが遅かったからほかにもお客さんがいる。
「こんばんわ。二人だけどいいかな」
「いらっしゃいませ。空いてますよ。どうぞ。奥の方がいいかな」
「ありがとう。釣谷さん」
バーの高いスツールに腰を下ろしてジンリッキーを頼む、あの女性は梅酒ベースでカクテルを所望した。釣谷氏はプロだから、甘め辛め、炭酸の有無などを聞いてカクテルを作り始めた。
飲み物がやってきて、仕事の話やら古書の話などとりとめもなく話をした。話は尽きないけれど、珍しくマスターは黙っている。目が合うのだがなんとなく目線をそらす。マスターは明らかに言いたいのだろう。「責任の範囲で仕掛けろ」、と。つまり割り込んでこないということはマスターの判定はあの女性は合格なのだ。
でも、告白して振られるのは怖い。この友達以上恋人未満、というのは居心地がいいのだ。しかもここから踏み出すことは後戻りできないかもしれないことでもある。しかし、50歳を過ぎた。生きてきた年齢より生きる年齢は少ない。仕掛けて失敗して後悔するなら仕掛けなくて自然消滅しても後悔するだろう。出会ってからずいぶん時間もたつ、1年は過ぎた。お互い、足元も見たことだろう。失敗してもそれはそれだ。
駆け引きも前段もなく、イキナリこんなことを言っていた。
「あなたが好きになりました。高木さんをナンパします」
即答された。
「私も矢野さんのこと、好きです。ナンパありがとう」
と。
沈黙が支配する時間は長く感じる。彼女は口を開いた
「矢野さんのことが好きだったから今日は自分で言おうかと思ったの。でもさすがね。いきなり仕掛けられてびっくりした」
「もう会って長いし、いつまでもズルズルしてもよかったんだ。でも50過ぎたしもう一度ときめくか迷ったんだよ。でも言っても言わなくても振られるなら言った方がいいと思ったんだ」
「ありがとう。40過ぎてこんなにドキドキときめくことなんてないと思っていたからとてもうれしいの。幸せ」
ティーンではないから、とは思うけど歯が浮くような会話だ。
「酔っていたから、とか言わないよ。いいの」
「こっちもよ。酔った勢いなんて許さないから」
テーブルの下で手をぎゅっと握った。黙って酒を飲みほした。
「帰ろう」
「うん」
「ご馳走様、マスター、〆てください」
彼女はお手洗いに行った。マスターが来た。
「矢野さん、うまくいったね。奥さんや彼女の旦那さんとの間でもめないようにしっかり立ち回ってね。彼女、矢野さんにぞっこん惚れてるよ。大事にしてあげてね。大人の恋だよ。いいね。」
店を出た。
今日は日比谷の駅まで歩いた。無言で恋人つなぎで。
彼女は有楽町線、自分は三田線だ。別れ際見つめ合った。
「おやすみなさい」
「おやすみ。気を付けて帰るんだよ」
「また会いたい」
「連絡しよう」
「うん」
40歳と50歳でティーンエイジャーの真似事ははたから見ると「おかしい」だろう。
でももういいんだ、人の目線は気にしないことにした。
突破モンになったのだから。