
人は恋をする、何があっても #22
あの女性(ひと)に電話した。
「高木さん、忙しいかな?今日、晩飯食べに行かない?ウチでは夕食難民なのよ(これはウソ)。」
「えー、今日ですか。少し遅くなってもいいですか。それなら行けます」
「じゃ、7時半にイイノホールの地下のソバ屋さんで。よろしく。先にやってるよ、いいかな」
「えっ。わかりましたー。早めに行けるように努力しますぅ」
強行策成功か?一軒目は蕎麦屋で、二軒目は行きつけだ。
そば味噌でちびちび日本酒をやっているとあの女性は息を切ってやってきた。
「走ってきました。先に飲み食いされるのは我慢できません!美味しいもの独り占め、反対!」
「そば味噌と板わさ、ポン酒だけだよ。好きなもの頼んでくださいな」
「やったね。走ってきた甲斐があったというものですね。じゃ、遠慮なく」
腹空いてたのかなあ、すごい食べてる。山賊焼きとかすごいな。しかし、かわいく梅酒ソーダというあたりがあの女性らしい。
「お腹いっぱい。美味しく食べました。今日はもう一軒行かれるんですか?」
「30年来の付き合いのあるマスター店に顔出すけど、来る?無理強いしないよ」
「行きますとも。とても興味あります」
「よっしゃ」
行きつけのバーは西新橋にある。櫻木公園の近くだ。店は2階にあるので一見はほとんど来ない。
「こんばんわ、マスター。ご無沙汰です。」
「おや、矢野さん。いらっしゃいませ。お久しぶり。おや、お連れさん?」
「うん、ふたり。いいかな」
「まだ混んでないから好きな席いいですよ」
「ありがとう。端の席にするけどいいかな」
「どーぞーw」
プロたるもの、あの女性のことは聞かない。
「矢野さんはウイスキーソーダ?ジンリッキー?」
「ジンリッキー、お願いします」
「お連れさんは?」
「あっ、私あまりお酒強くないのでフルーツカクテル系でお任せしていいですか」
「じゃあ、いいジュースがあるのでシンガポールスリングでもいかがですか」
「それいいですね。お願いします」
交互に3杯づつくらい飲んだ。マスターにもおごるのがルールだ。ちょっとした話をしながら呑む。マスターはそつがないね。やってきてはおごり酒飲みながら好みを聞き出すふりして情報あらかた引き出したよ。
あの女性はトイレに立った。刹那にマスターは自分をぎろっとにらんでニヤッと笑った。
「もう帰らないと。遅くなちゃった」
「ここは居心地がいいから長居してしまうね。マスター、〆てくださいな」
「ありがとうございます。こちらで」
勘定が回ってきた。驚くべき金額ではない。これは次回も来いということだな。安いぞ。ご神託はない。
店を出た。
「矢野さん、ご馳走様でした、いい店ですね。また来たいです。来週もいいですか」
「今週末に返事するけどいい?スケジュールが詰め切れていないのよ。ごめんなさいね」
「いいんです。楽しみにしていますから」
またも恋人つなぎでJRAの前を通り、内幸町駅に向かって無言で歩いた。
幸せらしきものを感じながら。別れを告げるとき、少し寂しくなった。