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「マキオのひとり旅」を50年ぶりに読んでー

え?!8歳と5歳?

マキオとちあきの年齢を知って、改めてびっくりした。
1970年代の日本はいったいどんな時代だったんだろう、とちょっと考えてしまった。
この本を読んでいた頃の私もマキオぐらいの小学生だったけど、あんまりよくわかっていなかったのかもしれない。
 
「ひとり旅といっても名古屋駅ではおとうさんに送ってもらい、東京駅には、おとうさんの妹のえみ子おばさんが、むかえにきてくれるのですから、わけはありません」
―これは作品の出だしも出だし。マキオが初めて一人で新幹線に乗って名古屋から東京の親戚の家に行こうという場面だ。作者は大胆にも「わけはありません」と断言しちゃってるけど、うーん、8歳という年齢を考えれば、今ならせめてだれか大人が目的地までは一緒に新幹線に乗れなかったのか、という話になりそうだ。
 
無事東京駅でえみ子おばさんに会えたマキオは聞く。
「ちあきちゃん、だれとおるす番してるの?」
「ああら、だれとってさ、おばさん、マキオちゃんおむかえにきてるんだもの、うちにはちあきとヒサオだけよ」
マキオはびっくりする(私もびっくり!)。たった5歳の子供(ちあき)に赤ん坊の面倒を見させてお留守番とは(今ならどこかの地方議員が「条例違反だ」などと黙っていないかもしれない)。
当時、このあたりの文を読みながらちょっと「すごいなあ」と思ったりしたのは覚えているけれど、今日ほど「信じられない!」とは思わなかった。
 
たしかにあの頃は子供だけで行動することはよくあった。実際に私も当時は鍵っ子で、日中は小学生の姉と2人で留守番をしていたし、子供だけで電車に乗って新宿に行ったりアイススケートに行ったりもしていた。まあ、実際に今でも通勤通学の電車に大きすぎるランドセルをしょった小さな子供が一人で乗ってくることがある。こんなのは、アメリカなど欧米諸国の人からみたら幼児虐待と思われるかもしれない。
―とまあ、そんな議論が出てくるようになったのはここ数十年のことだろうが、自分の子供を持ってみて、私もすっかりその価値観に毒されている。
 
こういう話になると、「日本は治安が良いから大丈夫なんじゃないか」という声も聞こえてくるが、はたしてそうかな。
この話の中でも、5歳のちあきが知らない人に連れて行かれそうになる場面がある。作品の中では、結局この「知らない人」が良い人か悪い人かはわからないようになっているけど、読者は一瞬ひやりとする。未遂で済んだからよかったようなものの、ひとつ間違えば大変なことになっていた、とほっと胸をなでおろす場面だ。
たぶん危険度は昔も今も変わらない。ちがうのは、周りの大人や子ども自身の考え方だろう。5歳のちあきは、なんと自分の行動も軽率だったと反省し、そのことを親たちには内緒にする。今の子なら親や学校を巻き込んでの大騒ぎになるだろう。だってそうするべきだと教わっているから(もちろん今だって黙っている子もたくさんいるだろうけど)。
 
こんな場面もある。夕食後いとこ同士で楽しく遊んでいたのもつかの間、生後数か月のヒサオがミルクをすべて吐き出してぐったりとしてしまう。えみ子おばさんは救急病院へ急ぐ。そのとき、当然のように8歳のマキオと5歳のちあきを家に残して行くのだ。「マキオくん、たのむわね」と言い残して。
このことは、一人っ子で甘ったれのマキオの成長にとっては重要な体験となる。だから『マキオのひとり旅』には、決して欠くことのできない場面だ。
だけど、あえて言う。現代ならたぶんこの子たちも一緒に病院へ連れて行くだろう。だってそれしか考えられない。おばさんのご主人は出張中なのだ。このあとマキオとちあきは二晩も子どもだけで夜を過ごすことになるのだ。もしそれで火事や誘拐事件などが起こった場合、今ならまずまちがいなく大きな社会問題になるだろう。えみ子おばさんの責任は重い。
 

作者の言いたいことは想像できる

高度経済成長期に入り、核家族化が進み、うるさく小言を言うジジババもいなくなり、家の仕事をさせたりすることもなくなって、子どもを過保護に育てる家庭が増えた。それは紛れもない事実だ。そしてたぶん、過保護に育てることは、子どもの独立心の芽を摘むというのはほんとうのことだと思う。作者はそこに一石を投じたかったのではないだろうか。どうかその芽を摘まないでくれと。
正直言って、私にはわからない。子どもはどうすれば幸せにしてやれるのか。どうすればこの大変な世の中で生きていける力をつけてやれるのか。今の世の中に一人の人間を送り出した身としては、毎日が手探りだとしか言いようがない。
 

それでもやっぱりおもしろかった!

5日間の冒険を経て名古屋に帰ったマキオはきっといい顔をしていただろう。盲腸の手術を済ませたお母さんは、その顔を見ただけでぐっと元気になったにちがいない。
そういう喜びがじんじん伝わってくる。それは小学生だった私にも、今の私にも大いなる刺激となって心に残っている。
ああ、マキオが作ったハムエッグが食べたい。ちりちりのハムとバリバリの卵を、フライパンごと突っつきたい!
ときどき、家が汚れて掃除がしたくないとき、「えいっ!」と腕まくりして、流しの汚れ物から片付けた始めた8歳の少年のことを思う。流しが終わったら、脱ぎ散らかしたパジャマをたたんでベッドに運び、ヒサオが吐いたものを拭いた酸っぱい匂いのするタオルを洗濯かごに持って行ったマキオ。そんな小さな背中を抱きしめたくなる。だけどこの旅を終えたマキオはきりっとした顔でこう言うだろう。
「おばちゃん、そんなことより早く掃除しなよ」
 

すばらしい挿絵を見逃していた!

50年前とちがうのは、挿絵をゆっくり見たこと。
小さくて細身のマキオ。さらに小さくて生意気でおしゃまなちあきが、「おにいちゃんのうそつき!」とどんとこぶしでマキオの胸を突くとおかっぱ頭が揺れる。色白で小さな顔のヒサオ。タクシーの中でぐったりしたヒサオを抱えるおばさんのひざが震えている。そんなひとつひとつがジーンと心に染みる。
 
それと、家族が増えて平屋だと狭くなったから2階を建て増しした家は、あの頃よく見かけた。1階には畳の部屋と台所に続く板の間の洋間。2階には2つの洋間があるあの小さな昭和の家。「リビング」や「フローリング」という言葉がなかったあの頃。
東京駅から「国電」に乗って着くこのお話の舞台は、どこか武蔵野市辺りのまだ自然が残る町だったんじゃないかなと想像している。
 
『マキオのひとり旅』(金の星社) 生源寺美子 作/岩淵慶造 画 

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