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僕ヤバの深読み【Karte.55 僕は開示された】僕の心のヤバいやつ

世間からの否定

1950年代、ロックンロールが若者の未熟な文化として貶められていた時代。

「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれた、かのエルヴィス・プレスリーは「ダンスの腰の動きが性的すぎる」と世間から批判された。

「ロック界の伝説」と言わしめたチャック・ベリーは名曲「Johnny B. Goode」にて「学は無かったジョニーだが、ギターだけは一人前で大スターに躍り出た」と歌った。

学歴社会をひた走る、当時の米国社会の教育層から、「一芸で財を成すなど若者の教育レベルを引き下げる」と大いに批判された。

彼らは、当時の世間から否定されながらも、愛すべき「ロック」の社会的地位を押し上げた。
現代では老若男女問わず愛される「ロックンロール」。
彼らは間違いなく、ロックの英雄なのだ。

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「あれ?僕ヤバの記事だよな?」と思った読者様。
ご安心ください。僕ヤバの記事です。

Karte.55「僕は開示された」は非常に「思わせぶり」な回というか、今後への伏線や読み筋が大量にあるワクワク回でした。

個人的に気付いた点や、そこから深読み&先読みしていったことを書き連ねようと思います。

深読み Karte.55「僕は開示された」での事実

まず確定かな、と思われる読み解きを見ていこうと思います。

 1 おねえも小学校の頃は陰キャだった

今とは違う暗い顔つき。
さらに瓶底眼鏡という他を圧倒する完全武装の陰キャだったようだ。

 2 市川(京太郎)は中一で中二病を患った

小学校の市川は遠足で友達に囲まれた写真、文芸クラブで部長を務めるなど、友好関係は悪くない。
斜に構えるあたりは、今と同じようだ。
Smitchが欲しいのに操作感悪いと批判したり、

おねえ「ね! 生意気フェイスでしょ」

と言われたり。
また、今と違うからこそ、山田から小学校と今が違うと言われたんだろう。

市川「あ…あんまり変わらんだろ…」
山田「ううん 全然違う」

市川が変わったのは中一の時だ。

山田が林間学校について聞いた時、市川やおねえが言葉に詰まったのはもちろんだし、中一の初期(と思われる)写真で、現在の右目を隠す邪眼ヘアな髪型ではない点からみて明らかだろう。

林間学校そのものか、その直前に事件があって、市川は中二病を患った。

事件については今回は掘り下げられていないが、いじめにあうかその直前になるほど追い詰められ、ハブられてしまった。

各話にて、市川はそういった迫害に対し怯えている。

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補足的な事実

今回の焦点は「市川の過去」にあると思うので、下記は補足的な深読み。

 1 山田は「姉」という存在に憧れていた

山田「おねえちゃん…… ―――…って呼んでいい?」

山田はひとりっ子で、「おねえちゃん」という存在に憧れていた。

モデルとして大人の業界に身を置く中、本当の自分(お菓子をバクバク食べる、子供っぽい山田)を受け入れて甘やかしてくれる「おねえちゃん」が欲しかった。

若干甘えた口調で「呼んでいい?」と聞くあたりもそうだし、Karte.19「僕は再び遭遇した」にて、山田が市川とマクドナルドで遭遇した時の

山田「お姉さん?可愛いね」
市川「いや…世話焼きおばさんみたいで辛い…」
山田「最高じゃん 友達になりたい」
市川(人の姉にお世話になる気満々かよ)

というやり取りからも伺える。
(30話以上離れた回から伏線引っ張ってくるってヤバい)

こちらの方の読み解きで気付きました。本当にありがとうございます。

 2 市川とおねえは感性が似てる

姉弟だから当たり前だろ、と思うかもしれないが、屋台で死ぬほど食い物を買い込んでいる山田を見たおねえが

おねえ「な…なんか つい? キュンとして…?」

と感想を漏らしたり、雑煮を頬張る山田に対し

おねえ「可愛い~」
市川(こいつ 僕の心のスピーカーか?)

と呟いたり。
山田に惹かれる部分も姉弟で同じなのだ。

先読み お姉の来歴と市川の過去の予想

ここから先は、筆者の予想なので素っ頓狂に感じるところがあるかも知れません。

 1 おねえは陰キャ&中二病だったが、克服(受け入れ)した

卒アルのおねえは、今のおねえとは明らかに違う。
陰キャのオーラがとても強く、むしろ、今の市川に近い。

私見だが、男子よりも女子の方がコミュニティへの依存が強い。
女子グループから迫害されるたおねえは、学生生活において過酷な日々を送っていたことは想像に難くない。

おねえを救ったのは音楽だ。
軽音楽部に所属していて、パーカーに「Rock(ロック)」と書いてあるところ、ロックが好きなんだろう。

反社会、権力への反抗、若者の反乱という音楽界の中二病といえる「ロック」はおねえ達の時代、社会的地位を確立していた。
そういった世間からも評価されている、自己表現の場を得て、おねえは陰キャ&中二病を受け入れ、あるいは克服した。

 2 市川は世間から否定された

一方、弟の市川は喜ばしいことに小学校の頃は極端な陰キャ&中二病ではなかった。

斜に構えるところもあり、生意気ではあったものの、友達に恵まれ文芸クラブの部長も務めていた。

中学に入り、文芸クラブに準ずる部活(おそらく、絵や小説に関するもの。美術部ではない)に入部した市川は、自分の感性を発揮する。

しかし、ご存じの通り市川は幼稚園の頃から「グロ、スプラッタ」が大好物で、他の部員達との隔たりを感じてしまう。
(コンクールか何かの場があったかもしれない)

世間の感性と自分の感性が隔絶していることに失望した市川は中二病を患い、厭世的になっていく。
市川は自分の感性を信じ、世間に挑戦する精神力は無かった。
英雄エルヴィス・プレスリーでも伝説チャック・ベリーでもない市川は、自分の感性の方がおかしいと感じ、Karte.1の冒頭のように「僕は頭がおかしい」と思い込んでいく。

そして次第に部員達から孤立し、疎遠になってしまった市川は退部してしまう。
(結局仕方なく情報処理部に入部する)

※ 自己表現の場を追われた市川が情報処理部に逃げ込んだとしたら、山田が自己表現としてのモデルの為に、バスケ部を辞めて「情報処理部に入ろうかな」って言ったの、なんかエモくない?

 3 弟が変わったことにおねえは気付いた

おねえは音楽を自己表現の手段として、陰キャ&中二病を乗り越えた。
弟の市川はグロの絵or小説をを自己表現の手段として、世間から否定され陰キャ&中二病を患った。

おねえは自分の弟が変わってしまい、そして自己表現の場では二度と救われないということに憂いを感じ、過保護になっていく。

山田を初めて見たとき「弟は報われない恋をしているのでは」と感じ「傷つく前に諦めさせなければ」としてしまうほどに。

 4 市川にとって世間とは大人の世界

以前の深読みでも「市川は大人が嫌い」ということに言及したが、もしこの予想に従えば、自分の感性を否定した「世間が嫌い」と言わざる得ない。

市川のような中学生からすれば、世間=大人の世界だ。
また、世間をバカにしている節がある。

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 5 おねえは希望の山田に本当の弟を見て欲しかった

おねえは山田を変わってしまった弟を救ってくれると希望を感じた。

だからこそ、山田に対し、卒アルを見せて患う前の純粋な「昔の弟」を知って欲しかった。
また、患っている「今の弟」を受け入れてくれている事実に対し、感謝していた。

おねえ「ありがとうね 京ちゃんと仲良くなってくれて」



含蓄が多すぎる回だったので、長文記事になった。
本当に市川の過去と今後の展開が楽しみすぎてたまらない。
他の回の深読みも行っているので、ご興味持っていただけたら、他の記事もご覧いただけたら幸いです。


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