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ノラカドウ_発見18 クリーチャーにお供えだ?

今回の物件は「お供え物件」ですね。発見02のやつと一緒!いや待てよ?これ同じかな!?何かが違うような感じ。というのはこれって「ホントにお供え」なわけです。たぶん幼子の仕業だろうけれど……… で、疑問なのは、子どもにとって「お供え」ってのが、どう認識されてるか?ということ。神とか仏だけに限らず、祈りの対象というものがあって、それがなければ「お供え」って成立しない。ヒトには霊性的なものを感受出来る能力が有り、それを対象化することが出来るんだと考えれば、幼子でも「お供え」という行為を、意味あるものとして把握しているはず。これが大人ならば、手を合わせるとか、供養の花とか、霊性的なものに向き合うための手だてもちゃんと用意されていて、まあインスタントに霊性的なものに対峙しちゃう訳です。で、今回の物件は、単に大人の手だてを幼子が模倣したのか?それとも根源的な祈りと繋がったものであるのか?が気になります。ネアンデルタール人が、死者を埋葬し、その死を悼んで花を供えていたみたいな心性が、幼子の中に発動しているなんて想像したりするとちょっとワクワクします。で、「お供え」は、ノラカドウ並びに華道にも繋がるプリミティブな振る舞いだ!なんて勝手に独り合点するのですが、ここまで考えて、この物件の「お供え」の対象物に目がいきました。「アレ?これって何?」「この対象物のどこに子どもは霊性的なものを感受してるの?」「ていうかこれって猫?」誰か教えて!「大人には見えないナニカ」が、どう名づけしていいか分からないこの石像に有るんでしょうか?「ウワーッ!そっちの方が知りたい!というか感じたい!そこでとりあえず、この石像を「クリーチャーと言ってみる」そうすると、何となく霊性とも繋がるってあたりが納得できたりします。まあこの「お供え」をノラカドウ認定するのは問題無しとして、この石像の変な気配に感じてるモヤモヤを、誰か上手く説明してくださいませ。

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