序曲1812年によせて


好きな映画のひとつに、『V for Vendetta』という作品がある。独裁政治下の近未来イギリスを舞台にした陰鬱な作品だ。
(出演はナタリー・ポートマン、ヒューゴ・ウィービングで、『マトリックス』シリーズの制作陣が多く参加している。ウィービングは舞台をメインに活躍している俳優で、映画でも重要なキャラクターを演じることが多い、やたら声の良いおじさんだ。『マトリックス』エージェント・スミス役、『ロード・オブ・ザ・リング』『ホビット』エルロンド役が有名どころ。高校時代からの推しである)
この映画ではチャイコフスキーの序曲1812年が効果的に使われている。
映画自体、テーマも重ければラストも暗澹たるものなので、序曲1812年がしばらくトラウマになった。しかし結局この曲は私のお気に入りのひとつになり、時折聴いてはそのストーリー性に浸っている。
国家崩壊がテーマの映画にこの曲を当てるセンスに脱帽すると共に、音のつむぎで勝利を雄弁に語るチャイコフスキーに驚嘆するのみだ。

その序曲1812年はいま、各地の公演で演奏中止となっているそうだ。
当然だ。不穏に消えゆくラ・マルセイエーズと、高らかにしかも大砲と共に響くロシア帝国国家なのだから。いくら芸術に国境はないとはいえ、わきまえるべきことはあるだろう。
それでも、先日のN響ゴールデン・クラシック以来、すっかりチャイコフスキーにはまっているので、この曲も生オケで聴きたいと思ったら、よんどころない事情での相次ぐ演奏中止。残念である。

何年後でもいい、序曲1812年を気持ちよく演奏でき、聴き、拍手ができる時を待っている。
だが今後、序曲1812年を聴くたびに、2022年の戦争が記憶に蘇っては、この遣る瀬なさをもてあますのだろう。純粋な感動を噛み締めることはもうできないのだ。