推しポワのはなし: ダウエル版白鳥の湖
いちばんの推しダンサー、ナタリア・オシポワ(Natalia Osipova)について語り倒す。
まずは、何度DVDを見たか分からない、大好きなダウエル版白鳥の湖について。これを書くためにスカーレット版の感想を書いたと言っても過言ではない。幕ごとではなく役ごと(ほぼオシポワ)に書いていく。図らずも3000字近くなってしまった。
ジークフリート
ジークフリートはマシュー・ゴールディング。
オシポワについて語る前に、マシューの王子はとても良いことを書いておく。王室育ち然とした品の良さ、天真爛漫な感じ、でも何だかんだ母の言いなりになりがちなちょっとした弱さ、オデットそしてオディールにわりと簡単に惹かれて愛を誓ってしまう危うさ。理想のジークフリートだなあと思う。
マシューの踊り方は、個人的にはバジルよりもジークフリートやアルブレヒトなど、貴族系がはまるように思う。伸びやかにずいぶん飛ぶのに、いちいち丁寧なんだよなあ、すごい。
2幕オデット
オシポワはどちらかというともちもち系ダンサーかと思うが、あの筋肉量が白鳥の羽根らしさを出しているのではないかと思う。オデットの登場シーン、グランジュッテで出てきた後の羽ばたきが見えるよう。それでまた、ジークフリートに怯える表情が良いのだ。ただ眉をひそめて悲しそうな表情を作っているのではなく、ジークフリート自身に恐怖を感じている顔。打ち解けてくると笑顔がときどきこぼれるが、それでも警戒が滲んでいる。2幕のパ・ド・ドゥの最後、ジークフリートの手を取る場面で躊躇う瞬間があるが、この一瞬で、この王子を信じても良いのだろうかというオデットの迷いが伝わってくる。踊る女優、オシポワ、すき!
3幕オディール
みんな大好き仮面舞踏会。王子、序盤は楽しんでるんだよなあ。ダウエル版でやや気になるのが衣装デザイン。舞踊団は皆おそらくロットバルトの手下なのだろう、黒と紫を基調とした衣装がいまいちぱっとしないのが、振付が良いだけに気になるところ。そもそも、ロットバルトは何がしたくて舞踊団を4つも連れてきたのだろう。女王の気を引くためにしては安直ではないか。この辺りは、スカーレット版の書き方が良かったように思う。
さて本題のオシポワの話をする。
滑らかに踊るオディール
一般にオデットと対比されるオディールは、「強く、妖艶で、王子を誑かす」人物(鳥…?)像が広く共通認識かと思う。したがって、オディールの踊り方としては、「速く、勢いよく、急に首を切って、ぴたっと止まる」スタイルが多いように見える。指や肘も伸ばし切ったポーズが多い。これはこれで良いのだが、オシポワは多くのダンサーと毛色の違うスタイルで踊っている。
彼女のオディールは「動きが滑らかで比較的ゆっくり」である。オディールとしては珍しいのではないだろうか。パ・ド・ドゥなんかで回った後のポーズなんかが顕著だ。勢いよく回って急に止まるのではなく、回って、手をゆっくり上げながらじっとり王子を見る。
指先ひとつとっても、手に全然力が入っていない。オデットと同じ、羽根の手をしている。
ロットバルトに操られて、とかではなく王子を堕とそうとする意志を感じる。そもそも、あのオシポワの回転は類を見ない速さではあるので、比較的ゆっくり動いても十二分にメリハリがつくというのもあるだろう。
こんなにも力の抜けたオディールが他にいるだろうか。
首の切り方
オシポワに限らずロシア系のダンサーを見てて思うことのひとつ。これはもしかしたら、メソッドの違いに起因するのかもしれない。ロイヤルの他のダンサーを見ていると、首を切るときに顔を止めるポイントがいくつかあるように見える(気のせい?)。
オシポワは回り切って始点に帰ってくるまで首が止まらないのが、途切れなくて好きだなあと思う。
表情
彼女のオディールは悪い顔をしている。王子に振りまく笑顔も、女王に媚を売る時も、ただの舞台上の笑顔、ではなく何か企んでいる顔をしている。ように見える、わたしには。極めつけが3幕のラストシーン、ジークフリートに正体を明かした時の高笑いの顔が、この上なく愉快そうで最高にいい。
この円盤を見るたびに感心するのは、バリエーションが終わったあとお辞儀をするときに一瞬オシポワの笑顔が見えるのだが、顔を上げたら笑顔は消えてオディールの睨みつける目になっているところだ。
他の舞台動画を見ていても、彼女は役にのめり込むタイプなのだろうかと思うことが多い。ロミジュリやジゼルやオネーギンではもう泣いているし、カーテンコールでも半泣きだったりする。特に古典バレエでは、舞台にオシポワはいないんだなと感じる。
4幕オデット
ジークフリートの阿呆が露呈する4幕。この4幕のコールドの振り付けがなんとも好きなのだ。謎の黒い白鳥も登場する。ネットの海で調べたところ、この黒い白鳥たちはヒナで、成鳥に飛び方を教わっているという一説があるそう。オディールの手下の黒鳥ではなさそうだし、どのような意図で彼女らを登場させたのかがずっと気になっている。
で、オシポワだが、4幕の秀逸な点はやはり表情だろう。1幕での恐怖と期待が混ざった表情とは全く異なり、オデットはもう半泣きで登場する。ジークフリート登場後は、そんな悲しみも捨て置いて、諦めが滲み出ている。そして最後、湖に飛び込む寸前のあの顔である。もう疲れてしまって、悲しみも諦めも超えて、自由意思で身を投げる決意をするオデット。
以前、スカーレット版のラストシーンが気に食わないと書いたと記憶しているが、わたしはダウエル版の救いのない終わり方が好きなのだ。オデットは絶望の中で「もう死ぬ!!!!」といってジークフリートを振り払って死ぬし、ジークフリートはそれを追って死ぬし、ロットバルトも死ぬ。残された白鳥たちだけがオデットの死を悼んでいる。
ジークフリートは生き残ってオデットを弔うだとか、愛の力でロットバルトを倒すだとか、そういうものはいらないのだ。裏切られたら死ぬと宣言しているのだから裏切られたら死ね。と思う。悲劇が好きなので…。
ところで、ダウエル版でロットバルトも息絶える必要はあったのだろうか。おそらくオデットもジークフリートも死んでしまったからかと思うが、当初の目的は達成したはずであるのだから、2人の屍を前に高笑いしてくれていいのに…と思う。まあ、古典バレエの金字塔であり子供も見る機会が多いであろう白鳥の湖で、一線を超えかねないシリアスな展開はやり辛いのだろう。この辺りは、いつかマシュー・ボーンの白鳥で解消したいところ。
まとめ
以上、ダウエル版白鳥の湖、というよりオシポワについて綴った。今回はわたしがいかにオシポワが好きか、というところのみ語り倒したが、白鳥の湖という作品についても考察したいところである。原作の背景やらこれまでの版の変遷など文献をもとに紐解きたいが、膨大な時間がかかりそうなのでいつになるか分からない。
ひとまず、オシポワについて他の作品でも良さを語りたいと思う。次はジゼルかな。