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ずっとデザイナーになりたかったくせに失敗が怖くて逃げ続けた私の半生

デザイナーに憧れながらも、挑戦せずに勝手に諦め続けて闇ループにはまる10〜20代を過ごし、30歳でようやく勉強を始めるまでの私の話です。

自分の欲望をなめるな。

敬愛するコラムニスト・ラジオパーソナリティのジェーン・スーさんの言葉です。

私は、デザイナーになりたい、何か作る人になりたい、という憧れを10代の頃から持っていたにもかかわらず、
いろんな言い訳で蓋をして、諦めたふりをしては結局またちょっとだけ開けて…を繰り返す残念な10~20代を過ごしました。

自分の根っこにある欲望に対して、なめた態度を取り続けていたのです。

30代に入った現在、オンラインスクール「デザイントースト」でデザインを学びながら、ようやくシンプルに「なりたい姿に向かって頑張る」ことができています。

ここに来るまでになぜこんなにかかってしまったのか。
せっかくなので、同じような気持ちを持つ方の励みになれば(または、反面教師的に「こうはなりたくない」と笑ってください)と思い書いてみます。

自己紹介

・30代女性
・既婚、小さい子供がひとり
・産休育休から復帰して時短で働く会社員(デザインとは関係ない仕事)
・2021年1月〜グラフィックやWEBデザインの勉強開始(独学)
・2021年5月〜「デザイントースト」応用コース1期生

最初は独学で始めたものの早々に壁にぶち当たり、5月から「デザイントースト」の応用コースにお世話になっています。
超実践的な課題に取り組みつつ、信頼できる素敵なメンターさん達のフィードバックを受けまくり、ぐいぐい鍛えられている所です。

(デザイントーストの楽しさ素晴らしさは別の記事で随時書いていく予定です!)

そもそもなんでデザイナー?

ありがちですが、小さい頃から絵を描いたり物を作ったりすることが好きでした。

小中高生の頃は、交換日記の表紙や、年賀状、部活の大会前に仲間に渡すプレゼント、体育祭のクラスTシャツなど、折りに触れ何かを作っては楽しんでいました。

「アイデアや思いを元にして作る」
「自分が満足するだけでなく、誰かに喜んでもらいたくて作る」
ということが好きだと分かった私は、
映画ポスターや広告が好きだったこともあり、いつからか
「デザイナーになって、世に出す何かを作れたら楽しいだろうな」という思いを抱くようになりました。

じゃあデザインの勉強をするために
「美術部に入ろう!」「美大を目指そう!」とシンプルに考えて実行…

できればよかったのですが、それがいつまでたってもできなかったのです。

なんで30代になるまで逃げ続けたのか

ずっと自問自答し続けてきましたが、理由はこれにつきます。

失敗するのが怖いから。

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全てここに集約されるんだ…私の人生…とようやく気づき愕然としたのがここ最近です。

小さい頃から「真面目」「しっかり者」、まさに優等生な評価を受け続け、思い切ったことはせず、怒られることもほとんど無く過ごしてきました。

今思えば、歳の近い妹が自由奔放タイプだったので、親へのアピールとして妹との差別化をはかり逆の方向に振り切ったのかもと思います(根源的な部分なので無意識ですが)。

そうやって過ごしているうちに、
失敗した時の立ち上がり方も、怒られた時の気持ちの対処の仕方も、何もわからないままにだいぶ大きくなってしまいました。
プライドは高いのに打たれ弱くて、自己評価が高いんだか低いんだかわからない、だいぶ拗らせた奴です。

そんな私が、他人の評価を受けてボロボロになるであろうデザインの勉強をして、それでもなれるかどうかわからないデザイナーを目指すのは、かなり非現実的なことでした。
ましてデザインやクリエイティブは、私にとって大好きな憧れの世界。
そこで失敗したら自分の全てが否定されるに違いないと思い、恐怖が増しました。

できなくはない勉強をして、行ける範囲の大学に行き、就職して会社員になる、いわゆる「普通」の道。
なりたい姿を目指して頑張る、という「普通」もあったはずなのに、
私の中での「普通」はいつの間にか
「頑張らなくてもできるだけ失敗しない方を選ぶ」ことになっていました。

また経済的に余裕が無かった、というのもひとつの要因です。
お金を無駄にしないためには、無意識に失敗のなさそうな方を選びます。
勉強や道具など自分への投資をケチって、小手先だけでなんとかしようとすることも多くありました。
(仕事や勉強のために本を買うことすら渋っていました。
 それは「好きなことをやっているわけじゃないんだし、頑張らなくてもいいや」という気持ちの表れでもあり、負の相乗効果です。)

本当にケチな選択ばかりしてきました。

今思えばチャンスはいろいろあった

とはいえ、すっぱり諦めて他の方向で頑張れていたかというとそうではなく、プライドが傷つかない趣味の範囲でいろいろと実践していました。

・大学時代のサークルで主催するイベントの広報物デザイン、映像制作
・自分の結婚式のペーパーアイテム、装飾デザイン

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楽しい〜最高〜こういうことずっとやってたい!!と思いながらも、
まあ、趣味だからだよね…誰に責任を取らなくてもいいから楽しいんだよ、仕事になったら無理だよ、と心の中のもう一人の自分がすぐ反論し、
まあそうだよね…これでやり切ったことにしよう、と諦める。

趣味でやるだけでも十分楽しいけど、やっぱり仕事にすることへの憧れが消えない。けど仕事にしたら楽しくないのかも…けど…けど…。
そんなことを考え続ける日々でした。

また環境としても、思い返せばいろんなチャンスを棒に振ってきました。

・編集プロダクションで雑用のアルバイト
(ライターやデザイナーとして働く社員さん達に話を聞くとかして、そっちの道に進むこともできただろうに。実際は、労働の厳しさを目の当たりにして「私には無理だろうな」が強固になりました)

・仕事で社内外のグラフィックデザイナーさんとやりとり
(発注する側だったけど、ほんとはそっち側に行きたい…という気持ちでいっぱいだった。でも口には出さずに終了)

・プロモーション系の制作会社へ転職
(デザイナーにはなれなくても企画などクリエイティブな仕事をやりたくて、思い切って転職。しかし業界の慣習に自分を合わせられず、仕事内容のイメージ違いもあり早々に退職。会社の方には申し訳ないことをしたと思いつつ、トラウマに。そのまま頑張ってたら今頃私は何をしてたかな…とよく思う)

そうやっていろんなチャンスを見逃しながら過ごしているうちに
諦めたことを必死に正当化しようとする自分」が生まれていました。

これでいいんだと思い込む闇ループ

この厄介な自分が心の中にいると、基本的にはいい事ありません。

・「夢に向かって頑張る人」「好きなことを仕事にできている人」を見ると苦々しい気持ちになる

・自分を励ますために「自分の選択は間違ってない、隣の芝生は青く見えるだけ」「きっと自分には合わないし、あっちはあっちで大変に違いない」と唱え続ける

・自分の気持ちを守るために、ポジティブな情報をできる限りシャットダウン

以下、ループです。

やばい境地にいるな、とうっすら気づいてはいました。

今でも忘れられないのは、クリエイティブな仕事で活躍する努力家の友人と飲んでいた時。
「もっとやってみたらいいのに」と言ってくれる彼女に対して、こう言ってしまったことです。

「でもさ、○ちゃん(その子)だって色々大変でしょ?何か犠牲にしてるものあるでしょ。」

彼女は一瞬不思議そうな顔をしたあと、

「いや、ないよ。」

と言い切りました。

その時、なんて失礼なことを彼女に言ってしまったのかと心から恥ずかしくなりました。

私は彼女があまりにも羨ましくて、彼女に「大変だよ〜、あんなこともこんなことも犠牲にしてるよ」と言ってもらうことで自分を慰めたかったのです。

その「彼女が犠牲にしているもの」を自分が持っていればさらに理想で、
私は今持っているものを守りたいから、やっぱりこのままでいいんだ。これが正しいんだ。
と思いたかったのです。

彼女が頑張る理由はシンプルに「やりたいからやる」でした。
犠牲なんて考え方はありません。
確かに持ってないものはあるかもしれないが、別にそれはそれで良い、と。

彼女を、私の独りよがりな思考の慰めにしようとしてしまったことを恥じました。

子供が生まれ、自分を見つめ直す

そんな中、妊娠・出産しました。

正直なことを言うと、
「これで数年は子供のことに追われるし、いよいよ夢だなんだと言っている暇がなくなったな!」と
また諦めを正当化する(しかもかなり強固な)言い訳が生まれたことに、安心する気持ちがありました。

しかし、生まれた子供を見ながらぼんやりと未来を想像している時、私はゾッとすることに気づきました。

私はこの子が「夢に向かって頑張る」時に、ほんとうに素直な気持ちで応援できるのだろうか。

自分のこれまでの考え方や選択を押し付けてしまわないだろうか。

そしてこの子が夢を叶えた時、嫉妬してしまわないだろうか。

…やばい。このままだとやばい親になる。

我が子に幸せな人生を歩んでほしいのに、それを無意識に邪魔するような母にはなりたくない。
でもこのままじゃ、多分そうなる。

私はようやく危機感を持って、自分の欲望に向き合い始めました。

私は私で、やりたいことをやるしかない。
子供にその姿を見てもらえたら、きっとすごく幸せだ。

じゃあ何をしたら、自分の人生楽しめるだろう?

多分、デザインに関わる仕事をすること。

散々回り道をして、ようやく「失敗が怖い」よりも「やらなきゃ」という強い気持ちに辿り着きました。

産後は自分より子供のことばっかり考えるんだろうなと思っていたら、むしろ自分のことがくっきり見えるようになったのには驚きました。育児ってすごい。

そこに重なった「今やるしかない」的なあれこれ

そう気づいたのが30歳になる直前。

しかしその後すぐに本業への復職となり、
仕事と育児と家事に追われる生活にめちゃくちゃ疲れてしまって、しばらく新たなことを始める余力はありませんでした。

とはいえ、復職してからの働き方、周りとの関わり方、仕事内容、自分のポンコツさへの絶望など、モヤモヤすることが多すぎて「このままでいいのだろうか…」とまた別の視点からも自分の将来を考えるようになっていました。
今の仕事では進んでいきたいキャリアが無く、モチベーションも正直上がらず、疲労が蓄積されるだけの日々に絶望感がありました。

ですがそんな中、2021年になるタイミングでいろんなことが重なりました。

・緊急事態宣言で仕事が在宅ワークになり、心と時間と体力に余裕が生まれた
(通勤時間の分、家で好きなことができる!)

・奨学金を繰り上げ完済できた

(解放された!自由だ!自分に投資しよう!)

・友人から赤ちゃんの命名ポスター制作依頼をもらった

(やっぱり人のためにデザイン作るの楽しい!そしてソフトの使い方ほとんど忘れてて悔しい!勉強したい!)

・漫画「ブルーピリオド」を読んだ

(私は一体何をやっているんだ…逃げ続けた自分が恥ずかしい(泣きながら))

・髪をショートカットにした
(何それ?って感じですが、私はずっとショートカットは似合わないと思い込んでいで、でも髪が邪魔で切ってみたら、案外似合うじゃん!!と驚き。私の思い込みなんてそんなもんなんだ、と気持ちが軽くなって、もしかしたらデザイナーにだってなれるのかも、と思えたのです)

きっと今が、動き出す絶好のタイミングだ。と思いました。
このタイミングを逃したら、多分一生後悔し続けて、ゆくゆくは人と自分に呪いをかけ続けるやばいおばあさんになってしまう、と。

そこで、働き方、子供との時間、やりたいこと、いろんな要素をひっくるめて、

子供が小学1年生になる5年後の春までに、
在宅ワークでデザインの仕事をして食っていけるようになる

という目標を立てました。

それから、イラレのチュートリアル動画を見て操作方法を覚え直したり、本を読んだり、インスタグラムに練習がてら作ったものをアップしたり、ようやく動きはじめました。

なれるかわかんないけど、やってみる

そんな経緯で勉強を始めて約半年が経ちます。

周りにも宣言して、Macも買って、スクールにも入って、すっかり生活が変わりました。
嬉しいことに同世代の友人たちが結婚&出産ラッシュのため、命名ポスターや結婚式のペーパーアイテムなどのデザイン依頼をくれることもあり、今は実績作りのために無料で引き受けています。

そして今後の見通しはというと、正直全く立っていません。
すぐに転職や独立をするのは厳しいし、何より自分のスペック(未経験、30代、子あり)で本当にデザイナーになれるのか、不安しかありません。

ですが、デザイナーでは無くともちゃんと社会人として働いてきた自負はあるので、回り道したことを逆に強みにできたらと思っています。

また、もともとグラフィックが好きなのでグラフィックデザイナーをやりたいとは思いつつ、WEBデザインの方が未経験者に対する門戸が広いため、そっちの勉強もしなきゃと迷ったり焦ったりしています。

ただ私が好きなのはあくまでも「デザイン」なので、今はグラフィックにもWEBにも通用するような基礎力を身につけることが先決と思い、デザイン専門のスクールである「デザイントースト」で学んでいるところです。

今でもまだ「失敗怖い」病はちょくちょく出てきます。
でも、何もせずにぐじぐじしていた頃よりは圧倒的に晴れやかな気持ちで、不安からの立ち直りが早くなりました。

もちろん、やりたいことをやる人生が唯一の正解ではないと思います。
やりたいことがあったって無くたって、毎日幸せならなんでもいいんです。

でも、やりたいことがあるなら、やっぱりやったほうが楽しい。
当たり前のことが、ようやく身にしみて分かるようになりました。
いつか子供にもそう思ってもらえたら嬉しいです。

これからは、自分の欲望を大切に生きていこうと思います。

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長々と読んでいただきありがとうございました。
10年後の自分が笑っていることを願って、今日も課題制作がんばります。


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