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【Voice!】 第6回 DF5 志摩豪瑠選手

2023シーズン、ルーキーイヤーながら副キャプテンに任命された。

ヘアスタイルだけでなく、後方からのハイトーンボイスや、

打点の高いヘディングなどで存在感あふれる活躍を果たした。

入退場時には、ピッチに必ず一礼する凛とした姿が、記憶に残っている

サポーターも多いはず。そんな自身のルーティンから、チームリーダー

としての振る舞い、就業先での目標など、熱い思いを語ってもらった。


プロフィール
DF5 志摩 豪瑠(しま ごうる)
2000年8月23日生まれ 静岡県沼津市出身
サイズを感じさせない跳躍力とアグレッシブな守備が持ち味のDF。
選手歴:香貫サッカースポーツ少年団→アスルクラロ沼津U-15→Honda FC U-18→静岡産業大学

ー 出身地と家族構成について教えてください
出身は、静岡県沼津市です。家族は父母と姉2人、兄2人の5人兄弟です。
僕は末っ子、五番目です。上から長女、次女、長男、次男で三男です。

ー 末っ子なんですね。みんなに可愛がられました?
甘すぎでしたね(笑)。一番上のお姉ちゃんとは15歳以上離れているので、どうしようもないですね(笑)。

幼少期時代の志摩選手 ※本人提供

ー 幼少期はどんな子供でしたか?
サッカーしかやってこなかったんですけど、マジでやんちゃでした。 迷惑かけることしかないというか。

ー なにか武勇伝はありますか?
中学校の入学初日で呼び出されて、親も呼び出されました。お兄ちゃんたちを見て育ったので(笑)。

ー 志摩家のお兄さんたちも似たような感じですか?
ワチャワチャしてますね(笑)。

ー では、サッカーを始めたきっかけは?
僕が幼稚園の頃、長男が常葉橘で全国高校サッカー選手権に出場しました。それを見て、サッカーがやりたい!って思い、小学1年生から始めました。

ー 長男、竜弥さんはサッカー選手に?
はい、JFLの佐川印刷でプレーしていました。

ー 最初の所属チームは?
地元の香貫サッカースポーツ少年団です。でも、少年団の他にも色々とスクールに行ってたんです。アスルクラロ沼津も行ってたし、小学5年生からは週末にSC相模原のスクールに通ったりしていました。金曜日に学校の授業終わったらすぐ親が迎えに来てくれて、そのまま練習に向かっていました。

ー 中学は沼津のジュニアユースに入りました。当時のポジションはFW?
普通にセレクションを受けて入りました。そう、サイドハーフとウイングでテクニシャンでした(笑)。マジで中学のときはドリブルしかしなかったです。

ー 高校年代はHonda U-18に進みました。沼津はユースがなかった?
沼津は自分らの年からユースを立ち上げるって言われていました。全国クラブユース選手権のU-15に出場したりして強かったんで、じゃあみんなでそこに入ろうかって言ってたんです。当時、吉田謙さん(現秋田監督)にも作るからねと言われたんですけど、ケンさんは沼津のトップチームの監督に就任したこともあり、ユースの立ち上げが先送りになってしまいました。
長男が浜松大学に進んだんですが、当時のコーチが井幡さん(現マルヤス監督)でした。僕が高校1年生になるときに、Honda FCのトップチームの監督をやっていた井幡さんから「ユースを立ち上げるから来ないか」って言われて、セレクションを受けました。

ー Honda FC U-18での成績は?
Hondaは街クラブの大会みたいなので優勝したのと、あとはJユースカップに出たぐらいですかね。自分らは一期生だったんで一番下のカテゴリーからの出場でしたし、高校1年生で高校3年生の年代との試合だったりで、大変でした。

Honda FC U-18時代(志摩選手は1番右[No.10])※本人提供

ー その後、静岡産業大学へ進学しました。
Honda FCでトップチームへの昇格のチャンスはあったんですが、自分が上がる年はセンターバックが必要とされていました。当時、僕はウイングをやっていたので、センターバックの子が昇格しました。じゃあ僕は大学に行こうってなったんです。県外に行く気はあんまりなかったですし、お兄ちゃんと同じではなく、違うところに行きたかったので、静産大を選びました。

ー 県内とはいえ、沼津の実家から大学は通えないのでは?
最初は始発の電車に乗って、毎日通っていました。親にはトップチームに上がったら1人暮らししていいよって言われてましたが、 4月から始まって2週間ぐらいでトップチームに上がったんで、アパート契約してそこから1人暮らしも始まりました。大学に寮はなかったんです。

ー 大学時代の最高成績は?
4年生のときに東海リーグ1部で優勝して、インカレに出場しました。1回戦で鹿屋体育大学に勝って、2回戦で関西学院大学に負けました。

ー 当時の関学はインカレで準優勝でした
強すぎました。濃野公人(現鹿島)、木村勇大(現東京V)、山田剛綺(現東京V)、倍井謙(現名古屋)、美藤倫(現G大阪)、エグかったですね。試合は先制されて、追いついたんですけど、ラスト2分ぐらいでハンドでPK。木村勇大選手に決められて終わりました。

ー 大学卒業、福井ユナイテッドに加入しました。夏には練習参加に?
大学4年生の夏休み中に練習参加しました。卒業後のことはなにも考えてなかったので(笑)。大学の監督に進路先について聞かれた時に「いや、特に何も決まってないです」と答えたら、「福井に行ってみるか」と紹介されました。福井の主務には大学の先輩の青山真也さん(現藤枝主務)もいたので。

ー 福井ユナイテッドの他には?
福井のあと、他に数チーム行く予定だったんですけど。1番最初に福井からオファーをもらったんで、親と相談して「最初にもらったんだから、そこに決めて、またプロ、Jを目指そう」と話して福井に決めました。

ー 練習参加で初めて来た福井の印象は?
練習参加のときは朝7時からの練習だったんすよね。4日間ぐらいいたんすけど、同じ大学の子と2人で一緒に行って、 朝練が9時ぐらいに終わって。そこから東尋坊しか行くところがなくて暇だったのを覚えています。あと、夏なのでめっちゃ暑かったです。静岡とは全然暑さが違いましたね。

ー ここまで一気に社会人まで振り返ってもらいましたが、自分のキャリアに影響を与えた人はいますか?
全員です。なかでも、1番人としても人間性の部分でも成長させてもらったのは、大学のときの監督、加藤知弘さんですかね。

ー 印象的なエピソードはありますか?
入学当初、自分はポジションがあんまり定まっていませんでした。1年のときにトップチームに上がったのもフォワードで上がって、サイドバックをやったりもしていました。

ー ポジションが定まったのは2年生?
2年生のとき、めっちゃ自惚れていたんですよね。FWでも余裕みたいな(笑)。それで藤枝MYFCに滉平君(北川選手)がいたときかな。練習試合をやるときに「余裕やろ」みたいに思っていたら何もできなくて(笑)。そこで、一気にドン底に落ちて、Bチームに落とされたんですよ。そこでセンターバックの方が、多分良さが出るからって言われました。一旦Bチームでセンターバックの経験を積んでみてって言われて、やっていくうちにどんどん自信がつきました。加藤さんは僕にセンターバックっていう選択肢を与えてくれた人でした。
あと、静産大ってチームの一体感をつくるのが、ずっと昔から大学の伝統でした。サッカーの技術も大事なんですけど、人としてちゃんとしてないとサッカーも結果残せないし、試合にも使ってもらえない。いくらうまくても、人間性が腐ってたりしたら、絶対試合で使わないみたいな監督でした。そういう面でも、チームの輪を乱すようなことをするような人もいなかったし、監督がまとまりをつくってくれてたっていうのもあったんで。そういうところで、人としてめちゃめちゃ成長できたなって1番感じました。

志摩選手(左)と恩師の静産大監督の加藤知弘さん(右) ※本人提供

ー やんちゃだった子ども時代もありましたが、大学で変わった?
高校も沼津から浜松まで通ってたんですよ。そのときも時間が間に合わないので新幹線で通っていました。朝5時半に家を出て、新幹線の始発に乗って学校に行って。練習は7時から9時までやって、夜は22時半ぐらいの最終の電車に乗って家に着くのが夜中の12時半。寝るのは1時過ぎで、起きるのは5時という生活を毎日やってたんです。そこで精神的に鍛えらました。
元々、母はサッカーの事をあまり知らないのでサッカーの事はあまり言われないんですけど、1人の人間として、常に人間性を厳しく教育してくれて、「感謝の気持ちや謙虚さは絶対に忘れるな」と言い続けられてきました。
それに対して、父はサッカーの部分を常に指導してくれてました。僕自身、両親のおかげでここまで成長できたと常に実感しています。まだまだ未熟者ですけど(笑)。毎日送り迎えをしてくれた母と高校、大学に通わせてくれた父には感謝しかないです。

ー そんな生活でもサッカーをやめたいとは思わなかった
いや、高校1年生のときはずっと辞めたかったです(笑)。キツすぎて、この生活が絶対やっていけないと思って。だけど、やってくうちにだんだん慣れるんですよね。最初嫌なだけで。

ー すごい生活ですね。
高校時代に体力もつきました。元々はめっちゃ体力なくて。 練習場も学校から自転車で1時間ぐらいの距離だったんで、それもあって鍛えられたと思います。あと、精神的にも高校時代が1番鍛えられました。幼少期のやんちゃさは、高校ではもう更生してました。高校のときは自転車で二人乗りをして謹慎くらったくらいですね(笑)。

ー 人間性を重視する大学の特有のルールみたいなものはありました?
あんまりないですね。でも、毎年キャプテンが本当にすごくて。俺の1個上だと去年福井に在籍していたの大西将亜くん(現マルヤス)。試合に出ていないときとか、おそらく悔しいと思うんすけど、 チームのために給水ボトルとか、めっちゃ率先してやったりしていました。 チームのために、ベンチや外から、声をずっと出し続けてくれていて。俺はこんなことできないなって思ってましたけど、やっぱり将亜くんや自分の年のキャプテンとかを見ていくうちに、悔しいけどチームが最終的に結果を残さなきゃ自分も評価されないって考えたら、チームを応援するなかで、最終的に自分も試合に出てやるっていう気持ちでやり続けられました。みんなキャプテンの背中を見て、一体感が生まれたっていうのがありましたね。
静産大はすごい名門から来てる選手とかはあまりいないので。それこそ柚杏(嶋津選手)や、イブ(中島選手)の東海学園大学とかの方がタレントばっかやし、中京大や常葉大とかの方が全然強いんですけど、静産大はやっぱり一体感で勝てていたと思います。

静岡産業大学時代 ※本人提供

ー ちなみに、以前のnoteでボランティアスタッフの里佳さんを取材したとき、志摩選手のピッチに一礼する姿について話されていましたが、それをはじめたのはいつ頃から?
高校1年生からですね。なんかわかんないけど、気付いたらやっていました。自分が使うグラウンドっていうか、成長する場所に対しての敬意は大事やなって高校のときに思って、はじめました。それこそずっと毎日やってたんですよね、練習のときも。そこからなんか、ルーティンみたいになりました。

ー 他にもルーティーンはありますか?例えばピッチに入るとき、右足からとか、試合前にはこれを食べますとか。
そうですね、自分も多分プロフィールでも書いたのかな。試合がもしホームやったら、試合当日に家のトイレ掃除をします。 鏡とかも全部綺麗にしないと落ち着かなくて。アウェイの試合のときは、出発前に掃除しています。自分は「トイレの神様」はいると思っているので、やらないと悪いことが起きそうな気もして。

ー そんなルーティーンがあるんですね。他にもありますか?
あとは、ホームやったら毎朝散歩をして、 近所の神社に行ってお参りをしています。アウェイの場合は、ホテルの近くに神社があったら、朝食を食べて散歩して神社行ったりしています。

ー それはいつからやっています?
福井に来てからです。これも、大学のときの自分の同期のキャプテンが毎日やっていたらしく。キャプテンになってからは、試合当日は自分が試合に出ても出てなくても、絶対お参りをしていたというのを聞いて、これ絶対良いなと思って。良いことはやるって決めてるんで、大事やなって思ったことはなんでも吸収してやっています。

ー 昨年、福井に加入して1年目で副キャプテンになりました。いわゆるキャプテンタイプではないとのことですが、受けた理由は?
スポーツではやってないんですけど。学校では学級委員長とか生徒会長とかをやってきたので、そういうリーダー的なのは慣れていました。立ち振る舞いみたいな、どういうことをしなきゃいけないのかっていうのは、ザキさん(尾崎選手)を見れば尚更分かると思うんですけど。去年はなんでもやりますって言っていました。まさか副キャプテンをやるとは思ってなかったですけどね(笑)。

ー 尾崎選手など身近に素晴らしいキャプテンがいますが、理想のキャプテン像はありますか?
今まで色んなキャプテンを見てきたんですけど、それぞれ良さがあって。自分が大学2年生のときのキャプテンは、常に冷静で、物静かで、熱くはないタイプでしたが、そのクールさがチーム全体を落ち着かせていました。だから「こういう人になりたいな」って思ってたんですよね。でも、3年になったら将亜くんがキャプテンで。将亜くんはめちゃくちゃ熱いじゃないですか。サッカー大好きで「俺は絶対やってやる」みたいな。そういうの見たら「自分はやっぱりこっちタイプやな」って(笑)。常に言葉で発して、言霊(ことだま)じゃないですけど、言って実現するタイプやなって思って、ずっと将亜くんの背中を見てきました。だから、1番のキャプテン像は常に全体が見えてて、チームが悪いときは 練習中も試合中も声で引っ張るのもそうですけど、プレーで引っ張れて、そういうので全員から信頼を得られて、常に活気づけられる人がやっぱリーダー(キャプテン)かなと。自分もそういう人になりたいなってのはあるけど、ザキさんがやっぱり1番すごいなって、毎日刺激を受けています。静かにしてほしいなって思うときもあるんですけどね(笑)。

ー ピッチ内外で常に声を出していますもんね
ちょっと声が大きいですって言ってるんですけどね(笑)。けど、ああいう人は、絶対1人はチームにいた方がいいと思います。

ー では、自分のストロングポイントと課題を教えてください。
ストロングポイントは、アグレッシブさだと思っています。「それを止めるんや」みたいな、シュートブロックもそうですけど、そこは負けないと思っています。自分に自信を持ってやっているとこだし、後ろから声を出す、常に喋るっていうのを心がけてます。去年1年プレーしてみて、やっぱりセンターバックってビルドアップとか、攻撃のスタートの立ち位置なんですよね。そのプレーの安定性というのは、去年ずっと課題でした。ミスなく前にボールを送るっていうなかで、 これだけ後ろからボールを動かすチームが初めてだったんです。相手守備の間にいまパスを出していいのか悪いのかっていう、 そこで奪われたらカウンターになるっていう見極めが、去年は全然できていませんでした。今年はそこをずっと意識してやってきたので、だんだん慣れてきて、去年に比べたら安定感は出てきてるかなって思っています。そこの課題をいまはちゃんと向き合ってやっていかなきゃなと思います。

ー 福井ユナイテッドのスタイルに慣れるのは大変でしたか?
大学のときは前線に足が速くて強いツートップがいて、そこにボールを送るサッカーしかやってなかったんです。でも、心の中でボールを動かしたいっていうのはあったんですよね。 ボールを動かして、保持して、ちゃんと相手を見てゴール前まで運ぶっていうのをやりたかったので。だから、最初は楽しみでした。でも去年はちょっと手こずって、難しかった部分もあったんです。でも、フジさん(藤吉監督)が、ずっと選手に落とし込んでくれていたんで、いまはみんな理解してやれてきているので、去年よりももっと福井のサッカーを体現できてるっていう実感はあります。

ー 昨年、全国地域SCLを経験してから、どんな思いで取り組んでいますか?
全国地域SCLで誰も感じた「1点の重み」っていう部分では、やっぱり失点をしない、点を取るっていうところが、去年足りなかったところだと思います。1年間を通して、もっと点が取れた試合もあったし、失点を抑えられた試合もあったんで。その課題にチームとしても向き合って、今年はリーグ戦70ゴール、5失点以内っていう数字を目標に掲げています。みんなそれを意識して出来てるから、直近の試合でもたくさんゴールを取れていると思います。5失点してしまいましたけど、それでも全員が意識して取り組んでるのでいい感じには来てるなって思ってます。HFL第10節の経大FC戦みたいに、後半終了間際に1点を取って勝ち切れた。引き分けを勝ちに持ってくっていうのは、この先1番大事だと思います。全国地域SCLは勝たなきゃ上がれないんで、全勝しないといけないと考えたときに、やっぱそこを勝ちに持っていけるようになってるっていうのは、全国地域SCLでも活かされるかなと思います。リーグ中断明けの4試合と全国社会人サッカー選手権大会で、勝ちにこだわってやれたら、更に成長して、最後の全国地域SCLで結果を残せるんじゃないかなって思ってます。

ー 次に就業先の黒川クリーニング社での業務について教えてください。
フロントスタッフなので、クリーニングするものを受け取ってチェックしたり、出来上がったものをお渡ししたりしています。

ー クリーニングはメニューや種類が非常に多く、覚えることが多いと思いますが。
今はもう覚えられました。メニュー表みたいな画面があるんですけど、どこに何があるかも、最初は全然分からなかったので、それは1番苦労しました。
最初はベル店で、 睦樹(廣岡選手)ともう1人、女性スタッフの方に就いて、1ヶ月半から2ヶ月ぐらい教わりながら業務をやっていました。最初の頃「これは何?」と一つずつ聞きながらやっていました。やりながら覚えるしかないんですけど、色も形も違うものばっかりで。「これもブラウスなんや」みたいな。

ー 特にレディースの服は全然わからないですよね。
服に関しては疎くて全然分からないので。めちゃくちゃ難しかったです。

ー 就業して半年近く経ちますが、だいぶ慣れましたか?
元々接客業がやりたかったので、めちゃくちゃやりがいを感じています。いまは、だんだん仕事にも慣れてきて、フロントに1人で立つときもあります。たまに分からない商品がくるんですけど、でもほとんどは自分1人でやれるようになりました。

ークリーニングは季節によって繁忙期は変わりそう?
冬が終わって春です、ってなったら4月5月は多かったですね。やっぱり冬物のアウター系とかめっちゃ持ちこまれてくるんで、いまの時期だったら布団めっちゃ入ってくるっすね。布団類も難しくて、自信ないのは、素材の豊富なカーペット。めっちゃ多いっすね。

ー就業の方での、自分の目標について教えてください。
先週あった社内研修でも話したんですけど、店舗スタッフナンバーワンの接客をすることです。笑顔で、元気よくコミュニケーション取る。すると、お客さんは多分「なんなんだこの子?」みたいになると思うんで。で、そのときに「福井ユナイテッドの者です。で、サッカーやってて、ここで働かせてもらってます」と自己紹介して。 そこから福井ユナイテッドに興味もってもらえたらいいなと思ってるんで、そういうところを目標にやっています。

パートナー企業の株式会社黒川クリーニング社で働く4選手
左から安川選手、志摩選手、奥野選手、廣岡選手

ー 最後にオフの過ごし方について教えてください
火曜日がOFFのときは、午前中ずっと寝てます。

ー 外出とか、遊びに行くとかはしない?
響くん(榎本選手)と仲が良いので、プライベートでは一緒にいることが多いです。最近、響くんがゴルフにはまってるんで、打ちっぱなしによく行きます。あとはカラオケに行ったりとか。

OFF日にはチームメイトとゴルフに ※本人提供

ー カラオケも榎本選手と?
いや、響くんは絶対行かないです(笑)。好きじゃないらしくて、何回「カラオケ行こうや」って誘っても、体調悪くなるって断られてます(笑)。

(ライター/細道徹)