自分を知るために写真を撮り続けているのかもしれない
noteを始めたのは2016年。その年に写真という趣味を始めた。
なぜ写真を始めたのか、決定的な理由はない。ただ、何も趣味が無かった中、カメラさえあれば作品が作れるという敷居の低さはあったかと思う。
当時のnoteを振り返ると、何を撮りたいとか、そういったことが本当に何も無かったものだと実感する。
2017年の1月から人を撮り始めた。instagramで見つけた写真から、ポートレート写真という分野に興味を持った。月数回のぺースで、人を撮り続けている。
はじめは中望遠レンズだけでとにかくぼかして撮ってたし、それに飽きて標準域のレンズでナチュラルに撮ったり、背景にポツンと立たせてみたり、色々な道を回ってきた。
自分の求めるポートレート像は、日々変わってきている。
色々回ってきたけど、最近は、モデルさんを生かした撮り方をしたいということと、静止画的な写真じゃなくしたいってこと。
写真だから静止画なんだけど、静止画的な写真じゃないっていうのは「その瞬間のために準備しました」みたいな雰囲気が出てない写真といえばいいだろうか。ポージングを細かく指示しすぎたり構図を決めすぎた感じの写真は最近あんまり好きじゃない。
それで、最近は換算で35mmのレンズを買ってみたり、コンパクトフィルムカメラを買ってみたりした。距離感の近いカジュアルな写真を撮ってみようとか考えている。
インスタグラムのアカウントで写真をアップしているけど、路線を変更して以降、いいねの数は減るし、フォロワーも増えない。自分としては前進しているのかわからない。もちろん数が全てだとは思わないけど。でも同じような路線ですごく多くのフォロワーさんがいる方もいるので、やはり自分には何か足りないところがまだまだあるんじゃないかなーとか。
自分がどこに向かっているのかはわからない。なぜ写真を撮り続けるのか、なぜポートレートなのか、自分が撮りたい写真とはどんなものなのか、いまだにわからないし、どんどん移り変わっていく。でもそのたびにちょっと自分について知れた気がするのだ。「こうじゃないな。」「この写真はぐっとくるな。なぜだろう。」「自分はこういう写真に心打たれているんだな。」と突き詰めていく作業の連続。
自分を知るために写真を撮り続けているのかもしれないな、とふと思った。