タイトルを借りるにあたって、坂口安吾『ラムネ氏のこと』を読み返しました。名の残らない者たちの奇行とも見える試行錯誤が積み重なったからこそ、現代の当然事は享受されうるのだ、という話です。 この記事で紹介するジョー=バウム氏 (Joseph Harold Baum) は、無名どころかアメリカのレストラン業界では恐らく超が付くほど有名ですから、必ずしもラムネ氏には当たりません。けれども、無謀の先に見える一種の計算高さと、信念への徹底ぶり、それから後世に彼の残した影響の大きさが、私の貧弱な教養に照らし合わされて、やはり彼もまたラムネ氏だったのだと思わせます。 という言い訳をまず片付けておきまして、と。 さて、レストランウィークの創始者の片翼、バウム氏について、その紹介記事・評伝記事から面白かったエピソードを抜粋しつつ、どのような人物だったのかを書こうと思います。果たして彼はラムネ氏なのか、そうでないのか。そんな御題目を掌上で転がしながら、あるいは落としつつ、レストランウィークの始まりについて調べてみた一連の記事の食後酒となる本記事、楽しんでいただけましたら幸いです。
とにかくレストランという空間が大好き バウム氏は、温泉街サラトガでホテルを営む一家に生まれました。キッチンを手伝っていた少年時代から、思春期の熱情も交えつつ、レストランという創造的な空間への憧れが強かったそうです。
Baum’s visceral, consuming love for restaurants was always rooted in the sensual: “I lust after their drama, their ambience, their professionalism, and their food glorious food. I hunger, not for the thematic recreations…but for new pulses of pleasure that restaurants alone can bestow,” he said.
Matsumoto, Nancy. (2022-02-07, Originally posted 2010-07-07). "The Legacy of Joe Baum". Edible Manhattan.https://www.ediblemanhattan.com/tastemakers/the-legacy-of-joe-baum/ 閲覧日: 2024年8月30日 ニューアーク空港のレストランでの成功には、バウム氏の後の業績に表れる特徴が詰め込まれています。彼は、衆目を集めるにケーキに挿した花火を以てし、またロブスターに3本目のはさみを生やすサービスを忘れませんでした。おかげで、初年度には25,000ドルもの損失でしたが、6年後には年間3,000,000ドルもの利益を叩き出しました。予算を度外視した派手な演出とサービスで人気を獲得し、最終的に莫大な利益を上げるという方法は、バウム氏のレストラン経営に通貫するものでした。
He added a third claw to every order of lobster. He stuck Fourth of July sparklers into birthday cakes, and whenever possible, set dishes afire. ''The customers like to see things on fire, or accompanied by fiery props, and it doesn't hurt the food that much,'' he once explained to an interviewer.
Grimes, William. (1998-10-06). "Joseph Baum, American Dining's High Stylist, Dies at 78". New York Times. 映画監督と呼ばれ、マーリンと呼ばれ レストラン・アソシエイツというフードサービス企業の専門レストラン部門の責任者となったバウム氏は、様々な地域文化をモチーフとするテーマレストランを次々と開店します。古代ローマをコンセプトにした際は、チームのメンバーと共に現地へ赴き、歴史から食器まであらゆる風土を取り込みました。
To research the Forum of the Twelve Caesars, Baum and his inner circle embarked for Rome, Pompeii, Herculaneum and Milan to soak up history, food and culture, as well as visit china factories, silversmiths and glass blowers.
Matsumoto, Nancy. (2022-02-07, Originally posted 2010-07-07). "The Legacy of Joe Baum". Edible Manhattan.https://www.ediblemanhattan.com/tastemakers/the-legacy-of-joe-baum/ 閲覧日: 2024年8月30日 一方で、着想は必ずしも本物や原典に拠りませんでした。エチオピアをコンセプトにしようとした際は、イギリス人の詩に着想を得たメンバーから発案されたのがきっかけでした。ただ、もしかすると結局このコンセプトは実現しなかったのかもしれません。少なくともバウム氏の残した書類のリストには、このレストランの店名とされる "Xanadu" あるいは "Zanadu" が見当たりませんでした。
“We’ll have that damsel and dulcimer at the entrance to greet guests,” he said, “and because it names a mountain, maybe this one should be at the top of a building.” (中略) Our big disappointment was the lack of solid food themes in the poem, leaving only a reference to “honey-dew” and “the milk of Paradise.”
Sheraton, Mimi. (2017-04-13, published 2016-09-17). "The Restaurant King of New York" / "How Joe Baum Taught New Yorkers to Eat" The Daily Beast.https://www.thedailybeast.com/how-joe-baum-taught-new-yorkers-to-eat 閲覧日: 2024年8月30日 こうして得た素材を、元となった地域文化の伝統や格式から離れて、より活き活きと目新しい形に再構築するのが、バウム氏のやり方でした。例えば、"Twelve Caesars" では、ローマ皇帝の饗宴がイメージされ、バッカスの装飾された銅皿や兜の形をしたアイスバケツを持って、紫と赤のベルベットを纏ったウェイターが行き交っていたそうです。また、日本をコンセプトにしたレストラン "Four Seasons" では、俳句などで四季が特に重んじられることにインスパイアされ、観葉植物から灰皿・タイプライターのリボンまで、更にメニューも季節ごとに丸々入れ替えていたそうです。食事処というより最早テーマパークとして徹底的にレストランを作り込むバウム氏の姿勢は、歴史スペクタクル映画の巨匠セシル・デミルに喩えられています。
What amazingly emerged from such a conventional background was the spirit of film impresario Cecil B. DeMille, a man who wanted to be an over-the-top creative, completely far out and passionate (bordering on obsessive) about quality.
Sheraton, Mimi. (2017-04-13, published 2016-09-17). "The Restaurant King of New York" / "How Joe Baum Taught New Yorkers to Eat". The Daily Beast.https://www.thedailybeast.com/how-joe-baum-taught-new-yorkers-to-eat 閲覧日: 2024年8月30日 バウム氏の大胆な発想と細部への拘りとは、客の望みを感じ取る鋭敏なセンスを下敷きにしていた、と言われています。恐らくは少年時代より培われた、客の会話や場の雰囲気を把握する能力が、型破りでも訪れた人を喜ばせるテーマレストランの企画・運営を可能にしたと思われます。
“He could visualize a new place, he could hear the people speaking, see the traffic pattern, smell the food.” Many of Baum’s associates have commented on his unique way of communicating, which they describe using adjectives ranging from “incomprehensible” to “abstract.”
Matsumoto, Nancy. (2022-02-07, Originally posted 2010-07-07). "The Legacy of Joe Baum". Edible Manhattan.https://www.ediblemanhattan.com/tastemakers/the-legacy-of-joe-baum/ 閲覧日: 2024年8月30日 そうしたセンスに裏打ちされた細部への拘りを明確に言語化するのは、バウム氏にとって、たいそう難しいことだったそうです。バウム氏の話す様子は、重要そうでいて中々主旨の伝わらないことから、その口調・声色と合わせて『アーサー王伝説』に登場する魔術師マーリンを髣髴とさせた、と喩える人もいます。共に働いたことのあるスタッフたちはしばしば、要領を得ない長時間の説教や、デザインの再発注に付き合わされ、辟易することもあったようです。対して、バウム氏の指示が不明確だったからこそ、それを具体化し補佐すべくチームの皆で考えることができた、と前向きに捉えている人もいます。
''He always reminded me of Merlin,'' said Michael Batterberry, the editor in chief of Food Arts magazine. ''His eyes would narrow, he'd roll these things around on his tongue, and in a low, mysterious voice he would let loose these fragments that were very haiku-like; sometimes enlightening, sometimes puzzling.'' Michael Whiteman, Mr. Baum's longtime business partner, said: ''The positive side of this was that he never came into a project with a doctrinaire position and then tried to bully people. He'd come in with half-formed ideas that came out in half-formed sentences, which allowed the creative process to get rolling.'' It was often said that Mr. Baum, a compact, dapper man, did not know exactly what he wanted until he saw it, and he was willing to spend until he did.
Grimes, William. (1998-10-06). "Joseph Baum, American Dining's High Stylist, Dies at 78". New York Times. ザガット氏との共通点 さて、バウム氏がザガット氏とともにレストランウィークを創始した経緯や、レストランウィークにまつわるバウム氏のエピソードは、残念ながら今回の検索・調査では中々見つかりませんでした。そこで、幾つかの記事を読む中で見えてきた、バウム氏とザガット氏との立場・考え方から、レストランウィークの構想・実現に生きたかもしれない側面を挙げていこうと思います。 一つめは、それぞれがレストラン業界で改革を成功させたことです。バウム氏は、レストランの価値を料理だけでなく店全体に拡張することで、生産者の立場から外食産業を活気づけました。ザガット氏は、レストランの評価を一部の批評家ではなく一般市民に広く委ねることで、消費者の立場から外食産業を盛り立てました。 二つめは、レストランでの経験そのものに魅力があれば、料理の価格を上げる必要はない、と考えていたことです。バウム氏の経営するレストランでは、ワインがあまり高値に設定されないことで有名でした。
One of Baum’s most consistent and well-known practices, especially at the Four Seasons, was to barely mark up the wines. “Let them have a good time,” he would say, “then they’ll order a second bottle.” Which they often did.
Sheraton, Mimi. (2017-04-13, published 2016-09-17). "The Restaurant King of New York" / "How Joe Baum Taught New Yorkers to Eat". The Daily Beast.https://www.thedailybeast.com/how-joe-baum-taught-new-yorkers-to-eat 閲覧日: 2024年8月30日 また、ザガット氏はレストランウィークでの特別メニューについて、客がレストランに入りさえすれば、割引されていない料理も頼むようになる、と折に触れて述べています。
“Once they’re in the door, they spend more,” Mr. Zagat said of diners. “They go á la carte.”
Bowen, Dana. (2005-06-15). "For 20 Bucks, Is It Worth It?”. New York Times. 三つめは、両者とも現場へ足繫く通うことを苦にしなかったことです。バウム氏は経営に携わる幾多のレストランへ自ら視察に赴いては、コンソメについてシェフやマネージャーに尋ねるのが常だったそうです。それは彼なりの茶目っ気を含んだコミュニケーションでもありましたが、現場には当然プレッシャーとなったようです。
Baum also liked to appear tough and a little mean at first meeting, which was a demeanor that covered his basically softie nature. One of his most quoted openers when unexpectedly appearing at a company restaurant was, “What’s wrong with the consommé?” Asked why, he answered, “There’s always something wrong with the consommé.” The question, of course, put the chef and manager immediately on the defensive.
Sheraton, Mimi. (2017-04-13, published 2016-09-17). "The Restaurant King of New York" / "How Joe Baum Taught New Yorkers to Eat". The Daily Beast.https://www.thedailybeast.com/how-joe-baum-taught-new-yorkers-to-eat 閲覧日: 2024年8月30日 他方、ザガット氏も、調査会社を立ち上げた者としての仕事も兼ねて、妻と共に数々のレストランを訪問してきました。2001年10月19日付のNew York Timesの記事には、テロの脅威に晒された直後にも、関わりの深いレストランを歴訪するザガット氏の様子が描かれています。普段から直接レストランへ通い、緊張を伴う信頼関係を築いていたからこそ、バウム氏とザガット氏によるレストランウィークにおける大幅な割引の交渉にも説得力が備わったのではないでしょうか。
バウム氏の遺したもの 1日12時間、週7日の激務をこなしたと言われるバウム氏は、1998年、前立腺がんのため自宅で死去しました。享年78歳でした。続々と溢れるアイデアを超人的バイタリティと惜しまぬ支出で完璧主義的に実現していった彼は、ニューヨークのレストラン業界に世界観を強く打ち出すという斬新な運営方針を、また外食産業の一角に空前絶後の人気と売上を齎したのでした。彼の名を冠したレストランコンサルタント会社は今もあり、バウム氏の経営していたレストランと、その哲学を引き継いでいます。
そして、レストランウィークという、そろそろ慣習になりつつあるかもしれない事業も、バウム氏の遺した大きなプロジェクトなのでした。ザガット氏と共に、外食産業の両側面から、ともすればゆっくりと廃れかねないニューヨークのレストラン業界を盛り立てようとした、幾つもの試行錯誤のうちのひとつが、実を結んだのです。 傍から見れば娯楽に過ぎない、けれどもただ失われていくのを見ているには惜しい、特別な外食という文化に、我が身を顧みず強烈な個性を以て息を吹き込もうとしたのが、バウム氏の数々の事業でした。もっとも、バウム氏本人は自身の成してきたことに関して、斬新だったというより、属人的な並々ならぬ注力の結果だと評価しています。
“There's nothing new in anything we've done. It's a matter of personal attention and personal involvement.”
Terry Robards. (1976-12-19). "SPOTLIGHT". New York Times. 約1ヶ月前、レストランウィークについて調べ始めた当初は、観光協会の穴埋め事業に、大した歴史があるとは予想していませんでした。実際、調べている最中も、特に21世紀に入ってからのレストランウィークの様相については、あまり詳しい記事が見当たらなかったので、ニューヨーク市の人々の興味はせいぜい「今年はどのレストランが参加するか」くらいなのかもしれません。また中には「レストランウィークそろそろ無くしてもよいのでは」という主旨のブログもあります。以前の記事で少しだけ触れた、現場で働く人々の苦労などの問題点にも、本気で扱うなら触れるべきなのかもしれません。今回、かなり軽くではありましたが、調査してみて、ともすると「飽きたなあ」などとぼやいているような恒例行事にも、その始まりには誰かの尋常でない思い入れや尽力がある、ということを改めて実感しました。例年通り半年後も開催されるのかどうか、まだ公表されていないはずなので分かりませんが、この記事を書き上げるまでに調べきれなかった沢山の資料を暇ひまに読みつつ、楽しみに待ちたいです。 それでは、また。
Today's Keywords (もとい、こぼれ話) Baumkuchen : バウム氏なのかバーム氏なのかボーム氏なのか。バウムクーヘンなのかバームクッチェンなのか。手持ちの英英辞典には立項されていませんが、BAUから始まる他の語、例えばボーキサイトとか、だと大方ボーという発音で読むらしいです。が、GoogleにBaumkuchenを発音させたらバームクッチェンに聞こえるし、Baumを翻訳させてもバウムとボームで揺れる。知り合いに発音を尋ねるのが手っ取り早いかも。
Joe Baum papers : バウム氏の家族から寄贈された、バウム氏にまつわる書類。ニューヨーク市立図書館の人文社会科学館にある、写本・文書部門 (Humanities and Social Sciences Library Manuscripts and Archives Division) で保管されています。公開されている所蔵リストによると、年間報告書から広告、書簡や手帳まで、計158箱に及ぶ書類が保管されているらしい。半年後くらいに気が向いたら、より深く調査しても面白いかもしれませんね。