レストランウィークの生い立ち、調べ続けました
ニューヨーク市でのレストランウィークは、ひとまず今週で終わります。ひとまず、というのは、店によってはレイバー・デーの前日、今年なら9月1日まで、特別メニューの提供期間を延長するからです。2004年8月24付のThe New York Timesの記事によると、共和党全国大会に合わせてレストランウィークを延長したのが、事の始まりみたいです。
けれども、今年の共和党全国大会は7月に開かれたようですから、今は、単に夏季休暇に合わせて期間を延長しているのでしょうか。理念や由緒が建前となり、やがて実利のため置き去りにされる様は、レストランウィークというイベントそのものの辿った経緯と重なるような気がします。
今回は、レストランウィークの立役者、ティム=ザガット氏による発言や記事を追いながら、レストランウィークの発展と受容の経緯について見ていこうと思います。もうひとりの重要人物、ジョー=バウム氏については、もう少し資料を集めてから、改めて記事にしようと思っています。それでは、いよいよ主菜へ移る本記事、楽しんでいただけましたら幸いです。
価格と品格の狭間で
最初に引用した記事によると、その年はオリンピックの開催地への立候補を記念して価格を設定したようです。レストランウィークの開催年に合わせた価格設定は、初回以降しばらく続いていたようですが、2006年に値を上げて以来、そうした遊び心は鳴りを潜めてしまったみたいです。
とはいえ、2006年1月16日付のThe New York Timesによると、当時のインフレ率に比すれば大した値上げではなかったようです。それから更に値上がりの進んだ今年でさえ、少なくとも私が訪れた店では、設定されていた価格は本来の半額くらいでした。そもそも、初回の価格設定も、かなり思い切った判断だったことは、ザガット氏が後に何度か述べています。
ここで想定される損とは、赤字だけではなく、レストランの看板に泥を塗りかねない、ということでもありました。それに対して、単なる安売りを提案したのではなく、業界全体の足並みを揃えてキャンペーンとして打ち出したことが、それぞれのレストランの品格を落とさずに料理の価格を抑えることに繋がった、とザガット氏は分析しています。
世界に誇る食道楽の街を目指して
さて、ザガット氏は何故そこまでして、レストランの特売に拘ったのでしょうか。きっかけとしては、前回の記事で紹介した通り、民主党全国大会でのおもてなしでした。しかし、そもそも何故、レストランに主眼を置いたのでしょう。
もとより、ザガット氏はレストラン業界において、特殊な地位にある人でした。1978年、彼は妻と共にザガット・サーベイという会社を設立します。これは、食を愛する一般市民から広く評価・意見を集計し、公平なレストランガイドを製作するための組織でした。食べログを本の体裁に整えて出版するような感じでしょうか。日本語のWikipediaがあるので、詳しく知りたい方はそちらをご覧になってください。日本のレストランを調査した本も出版されているそうなので、ご存知の方も多いかもしれません。
身分というより一種の民意によって、レストラン業界で一定の権威を得ることとなったザガット氏は、機会ある毎に業界の振興へ惜しまず協力するようになります。そのひとつが、1992年の民主党全国大会に合わせたレストランウィークの提案でした。損をしてでも新しい客層を獲得できればよい、と覚悟して始めたところ、数多のニューヨーカーから予約の電話が殺到した顛末は、1992年7月11日付のThe New York Timesを皮切りに繰り返し報道され、レストランウィークの望外な成功、という文脈で語られています。
これらの献身的な行動の背景にあったのは、ニューヨーク市の食文化に対する並々ならぬ誇りでした。1993年7月7日付のThe New York Timesにおいてザガット氏は、バラエティと手軽さにおいて、ニューヨーク市にあるレストランは他の大都市にあるレストランに引けを取らない、と語っています。
1999年、NYC & Companyの会長に就任した際のインタビューでも、ザガット氏は「ニューヨーク市を世界の食の都だと証明し、皆に自分の目で確かめてもらおう」と意気込みを語っています。また、ニューヨーク市の観光業全般について、閑散期の雇用確保が急務であることを認識し、そのための対策を様々に講じていくことを約束しています。
明記されていた訳ではありませんが、クリスマス後から3ヶ月ほど続く閑散期において、芸術や文化に関するあらゆるイベントを企画した中に、冬のレストランウィークも含まれていたのではないかと思われます。立場として食に通じた一般市民の代表格だったザガット氏の試みは、良いレストランの発掘と、その魅力を世間に広めることにおいて大きな成果を上げ、ニューヨーク市での外食人口の増加・維持に貢献してきたのです。
繁忙期には上客を相手に手腕を振るわせ、閑散期には破格で権利を与えた新規客を大量に流入させることによって、レストランを常に満席にし、業界全体の収入を底上げする。それが、おそらくザガット氏の狙いであり、結果としてレストランウィークが齎した恩恵だったのでした。大手企業の支援もあって、上首尾に運ぶこととなったこのシステムについて、ザガット氏は以下のように述べ、好意的に受け止めています。
過去の事例と現在の事実との差異について
ここからは、読んだ記事に書いてあったことが、今もそうなのかどうか、分からなかった例が幾つかあるので、それについて述べていきます。
現在、このイベントの運営団体はニューヨーク市観光会議局という官民協力型組織です。また、このイベントの主なスポンサーはレストランオンライン予約サービス提供企業 (OpenTable) の他、全米鉄道旅客公社 (Amtrak) 、料理芸術振興非営利型基金 (James Beard Foundation) 、市のクリエイター支援事業の担当部署 (NYC Media & Entertainment) と物々しい顔ぶれです。2010年頃にはスポンサーだったはずのアメリカン・エクスプレスやコカ・コーラについては、今どのように関わっているのか、あるいはもう関わっていないのか、調べられませんでした。このように、今や大手民間企業より公的機関に厚く支持されているという現状は、レストランウィークを、ひいてはレストラン業界を、ニューヨーク市の食文化として保護・推進したいという、ザガット氏をはじめとする数多の食通たちの強い思いが実った末の、ひとつの結果なのかもしれません。
また、レストランウィークに参加するレストランの決まり方について、ザガット氏を含む運営団体とその協力者たちが、品質や評判を基に選定している、と複数の記事に見えました。しかし、2005年6月15日付のThe New York Timesを最後に、そうした記事が見当たらないので、今もそうなのか、どこかで変化があったのか、調べられませんでした。もし、現在も運営側から推薦・依頼する形式なら、参加するレストランは600店以上と当時から大幅に増えているので、大変な努力と手間が必要ですね。
今年に参加したレストランは、高級レストランと聞いて日本でイメージされやすいフレンチやイタリアンといった欧州の料理だけでなく、アフリカンやタイ、中近東に南米、それからカリブ海など、多種多様な食文化の粋を引っ提げて臨んでいます。こうした店たちの来し方や在り様を尋ねてみるのも一興でしょうが、それはまた別の機会に。今回は保留したジョー=バウム氏をはじめとするシェフやウェイターといったレストラン業界の人々についても、ぼちぼち調べてみたいですね。
それでは、また。
Today's Keywords (もとい、こぼれ話)
foodie : 食べるのが大好きな人。この記事ではザガット氏の企画力に注目して紹介してきましたが、彼は妻と共にキューバまでレストランの調査に赴いたり、アメリカ同時多発テロ事件の直後に市中のレストランを訪問して秋のレストランウィークを臨時開催したりと、現場に関わる行動力も凄い人です。先の事件については共著で体験記を出版しているみたい。食べるのが大好きで、食が人を元気にすると信じて疑わない人であることは間違いなさそうです。
Palermo : シチリア島の地名、ではなく先週、私が夫と共に訪れたアルゼンチン料理のレストランの店名です。肉とパプリカが、とにかく甘くて柔らかい。スーパーの厚くて硬めの肉に慣れてきた身には天国のようでした。どうやったらあんなに旨くて上手い具合に焼けるんだ。