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学生さんを泣かせちゃった

先日、学校は秋休みに入る直前で、期末テストがありました。テストの日の先生の仕事は、テスト監督です。

テスト前の説明や質問対応、カンニングのチェックなど。

このテストでのカンニングが、問題になりました。
いつも授業を担当しているクラスの試験監督であったため、学生さんのことも、どんなクラスなのかもよく知っています。

普段の授業の小テストでもカンニングは多いクラスなので、注意して様子を見ていました。

すると。
明らかに隣を見ている学生を発見。初めは気のせいかもしれないし、確信がない限り摘発できないと思っていたのですが。

4回続いた時に「アウト!」と判断。証拠はないけれど、本人も言い訳できないであろうほどの明らかさ。見逃せませんでした。

テストは4コマに渡って、休憩をはさみながら実施されます。1コマ目に発見したので、1コマ目終了後に学生に注意しました。

「どうして見たの?」
「問題を解き終わりましたから。」
「自分が終わったら見ていいの?試験監督はあなたが終わったかどうかは分からないから、公式の試験では通用しないよ」
「先生、すみません」

これはよく学生がする言い訳。見ただけで、人の答案を写してはいない、とよく主張します。

人の答案を見て書いた、書いてない、ではなく見ることそのものがカンニング行為にあたると、普段から注意しています。

そして、この場では泣きださず、2~4コマ目はカンニングはありませんでした。

でも。非常勤講師の私の注意だけで終わる問題ではないので、上の先生に報告。すると、全ての試験終了後にお説教の時間を設けることになりました。お説教は私からでなく、学生が最も恐れている学校で1番えらい先生からです。

そのお説教時に、「わたしは見ていない」と大泣きし始め、「どうゆうこと??」となり、私もその場に呼び出されることとなりました。

私はすぐに駆け付けました。

わたし「すみませんって言ってたよね??」
学生 「私は見てません」
わたし「見てないなら、あの時見てないって言ってよかったんだよ?どうして言わなかったの?」
学生 「。。。。(大泣き)」

出来るだけ本人の口からの言葉が聞きたくて、キツイ言い方にならないように、でも逃げさせたりはしないように話をしました。結局、「見ていない」と泣き続けるだけ。本人が認めない限り、証拠もないのでカンニングはなかったこと扱いへとなりました。納得できていたわけではないけれど、私からも学生さんに謝りました。

その後、えらい先生と私でも話しました。カンニングを注意しても、学生の8割は見てないと言い張るそうで。。。

偉い先生から、「学生はきっと見ていたと思います、でもこれに懲りて今後しなければそれでOKなので、意味はあったはず。まごち先生も気にしないでね。」と。

こんな風に、学生にとっても私にとっても特にお咎めはなく、丸くおさまりました。

ただ、私にも反省点はあって。それは聞き方です。

わたしは「どうして見たの?」という聞き方をした。
「テストが終わりましたから」と返事をしてきた学生に、見たのか、見ていないのか、は言わせていません。

「見た?見てない?」を本人に言わせる聞き方を私ができなかったことは反省点でした。

理由を言った=見たと認めた と思っていたけど。日本語が上手ではない彼らにとっては、適切な聞き方ではありませんでした。

反省はあるけれど、普段の授業態度から疑われても自業自得。何がカンニングにあたるかは伝えている。なので、摘発したことを後悔はしていません。

だけど、目の前であんなに大泣きされると、こたえた。
わたしは仕事をしただけだし、明らかに見ていた。でも学生は悔しさをもつあまり大泣きするということは、学生の中の認識では「見てない」んだと思う。

きっと、横を見ていることは、カンニングにあたらない。見ても、自分の答案に書かなければカンニングではない。

そんな、認識の違いがあるのだと思います。でも。授業中に何度も注意し、「何がカンニングになるか」ということは説明している。

そもそも、普段から授業を聞いていないその態度が、招いたことでもある。

そんな、いら立ちと、でも自分の未熟さと。行き場のない気持ちがいったり来たりしていました。

でも、何度考えても私に後悔はない。聞き方が適切ではなかったという失敗もあったけど、反省とし、経験にしようと思いました。

そんな必死の気持ちが伝わったのか、この件以降、他の先生方との距離が少し近づいた気がしました。反省点も、大きな気づきとなりました。

失敗しなければ、分からなかった。失敗しなければ、こんなに刻まれなかった。

そして、失敗から得るものは大きいなと感じることができました。

そう思えたことで、行き場のない気持ちは落ち着きました。

仕事の場でなくとも、日々、わたしはいろんな失敗をしている。だけど、ひるむことなく、自由に。いったんは自分の思ったとおりにやってみようと思えた出来事でもありました。

間違ったら、謝って。変えて。
自分がやりたいようにやるばかりでなく、人の失敗も受け入れて。大きくなりたい。

誰かと関わることで気づけることは、いつも大きいです。

これからも、失敗は怖い。でも、自分に負けることなく関わっていきたいです。学生さんはもちろん、職場の方や、友だち、家族、夫。周りにいてくれる人たちと。

最近気づけた、大切なこと。


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