昨日離婚した(その2)
単身?赴任を終えて1年後、帰ってきた。でも、離婚→研修先でアパートを借りる→次はどこ行く?となってしまった。離婚の舞台である実家にはもう戻らないと決めていた。じゃあどこか勤務先の近くにアパートを借りる?と考えていた矢先、彼女の母親が腰の圧迫骨折で動けなくなってしまったのである。彼女の実家には母と娘&可愛いワンちゃんが2匹いた。
「家に転がり込んでもいいか?」と訊くと彼女は驚いた表情を見せながらも「いいよ」と言ってくれた。そうとなれば即実行。3月になり着々と荷物を赴任先から運び込む。負になる点は一切考えていなかった。その時は救いの手を差し伸べてくれた女神だったから。
4月になり、赴任先からもとの職場に復帰した。彼女も同じタイミングで異動した。3年間の同居生活であり事実婚の始まりである。彼女の仕事は年中忙しかった。帰りも夜中12時を回ることも多かった。時に夜中の2時3時。。。翌日が休日なら思いっきり残業していた。朝食を届けたことも2回もあった。それでも休日はたまの旅行に行き、愚痴をいろいろ聞いた。同じ会社なので彼女の上司にも残業の多さと帰宅時間を訴えた。
秋の京都には毎年行った。車で移動することの多い俺にとって、年に1回電車に乗っての旅行である。今思えばこの京都旅行が一番楽しかったかもしれない。永観堂、南禅寺、金閣寺、天竜寺、大覚寺、八坂神社、平安神宮…いろいろ行ったなあ。
事実婚3年目の夏、お盆前だったか俺は仲間と北アルプスに登った。富山の折立というところから登り、太郎平~黒部五郎~高天原~雲ノ平~薬師沢~折立と2泊3日の山行である。天気も良く気持ちよく歩いたが、3日目の朝、高天原から雲ノ平へと向かい、山荘でコーヒーを飲んで薬師沢へと向かい歩き出したところ、木道の最後のスパンで転倒し左足を痛めてしまった。ここから9時間かけて折立へと自力で下山し翌日レントゲンを撮ってみたら捻挫であった。山行から夜中帰宅したときに俺は何か彼女に言ってしまったらしい。そこから全く口を聞いてくれなくなった。山仲間にも「何か怒っているみたいだ」と言って相談したら「謝れよ」という何の、どの場面かもその時は分からなかった。そこから何と半年も口を聞いてくれない。何を話しかけても答えてくれない。それと同時に彼女の忙しいもピークであった。それと犬の体調が悪くなりつつあった。動物病院に行くことも増えた。何が何だか分からないが落ち着かない生活が続く。この頃彼女の母親と夕食を共にすることが多く俺は「義理の母子家庭だ!」と揶揄していた。そして、何で怒っているか分からないし、仕事の忙しさですれ違いが生じているのを感じ、俺一人で家を建てて出て行こう決めたのである。
つづく