未来の自分が死ぬとき怖くないように

はじめまして、タチバナです。noteをはじめてみました。常日頃ふわっと思っていることを言語化できたら嬉しいなって思います。

私は死ぬのが怖いです。
死ぬことってめちゃくちゃ怖いですよね。死んだあとどうなるかわからないし、死ぬときはだいたい苦痛を感じながら死ぬし、それでいて今の人類には避けることができない強制イベントです。
強制イベントで死を用意した神様、やばすぎる。

私が小学生くらいのときは死についてずっと考えて怖がってました。一緒のクラスの友達も、先生も、親も、結局みんな死んじゃうんだと思うと悲しくて、死んじゃうなら生きていく意味なんてないんじゃないかと思っていました。
生きていく意味もわからないし、でも死ぬのは怖いし、死におびえて死を延長させるためだけに与えられた命になんの意味があるのかとずっと考えていました。

そんなことをずっと考えていた私に、思考の変化が訪れます。
なんの番組かは忘れましたが、息子や孫に囲まれた老人が老衰でいきを引き取るシーンでした。死ぬ瞬間の映像なんて怖くて見たくない、でも目をはなすことができない状態で画面を見ていました。しかし、そこには私が想像していた、苦しんで苦しんで死にたくないともがきながら死んでいく老人はいませんでした。
老人は、孫と息子をひとしきり見渡してから、満足そうに笑顔でいきをひきとったのです。

え!笑顔で苦しまずに死ぬ場合ってあるんだ!!!
当時の私からしたら衝撃の死に方でした。初めて怖くない死に様を見たのです。そして、その条件を考え、一つの結論を出しました。
孫に囲まれていたから怖くなかったんだ、と。

その結論は未だに変わっていません。むしろ、年を重ねるごとにその結論にどんどんと自信が付きます。
ようは子孫を残せば残しただけ、死の恐怖が薄まるというのが、私の持論です。

生き物は遺伝子の乗り物という言葉がある通り、死の恐怖が実装されている理由は、自分の遺伝子を次の世代につなげるため、生きて生殖をするよう促すために用意されたためだと思っています。
馬のケツを叩いて早く走らせるように、人間に死の恐怖をちらつかせて繁殖させ、遺伝子を遠くまで走らせるんですね。

ということは、十分に子孫を残し、その子孫もまた子孫を残していることを実感することができれば、死の恐怖がある必要などないのです。死自体からは逃れることはできませんが、TVの中の老人のように、恐怖に怯えることなく笑顔で死ぬことができるのです。

正直直感的には、子孫を残せば死の恐怖が薄まるとは思えていません。ただ、今まで理解できなかった性欲が中高生で理解できるようになるように、自分の子供がいい大人になると「孫の顔が見たい」と言い出す親のように、それを直感的に理解できるタイミングが未来の自分に来るだろうと思っています。

ここまで書きましたが、いまのところ私は結婚できなさそうなので死ぬときめちゃくちゃ怖いでしょうね。いやあ、ほんと未来の自分が怖くないように頑張らなきゃなあ。

文章って終わらせるのめちゃくちゃ難しいですね。書いた文章を読み直してみて、「いやあ…そうっスねえ…」と自分の中で沈黙が続いています。
じゃあ、そういうことで…。


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