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適当でいたい

日記。雑記。

前回「2025年をどう生きるか」なんて真剣に考えたあと、ふと、「私はなんて真顔の人間になってしまったんだろう・・・」と思いはじめた。揺ら揺ら。

家族、友人、知人は「もともと真顔の人間だったよ」と言うかもしれないし「ぜんぜん真顔じゃなくない?」と言うかもしれない。自己分析なんてたいしてあてにならないが、自分的には「もっとテキトーでぼんやりしていた人間だったのに」という気がしている。

20代後半の仕事の日々がとにかく忙しく、大変で、職場環境への適応と仕事と生活をぜんぶガーーーーーッと回していたら、真顔とへの字の口が板についたのかもしれない。起きて車に乗ってぎちっと背筋伸ばしてエレベーター乗って7階へ向かい席に座ったかと思えば「2階来て」と電話で呼ばれ一日に7階と2階を何往復もしながら7階と2階の調整役として働き帰ってそのまま寝る生活をどうすることもできなくて、だけど不満や疲れは溜まっていって、私はひとりで、自分の内側という近すぎるところや、環境や社会や世界という遠く(遠くなんてないのだけど)ばかりをみていた。環境に合わせるために薬を飲んで脳を調整したり、副作用でご飯が食べられなくなったり、そうしていたら、なんだか真顔の人間になってしまった。

と、今になってそう思い、すごく虚しい気持ちになったときに、手元にさくらももこ『さくら日和』があることを思い出して読んだ。
今日は「そういう日」にしよう、と思い、湯たんぽを入れて玄米茶を淹れて甘いパンを齧りながら、ゲラゲラ笑った。吉本ばななと賀来千香子がヒロシと初対面したときの話、新福さんおめでとう、お子さん幼少期のまる子っぷり、面白すぎて涙を流して泣いた。ヒ〜ッと声を上げて笑っている私を犬が無視していたのも、こども時代にさくらももこのエッセイを読んでいたころを彷彿とさせ、そのころを覚えている心身がゆるく温まった。幼馴染のあきちゃんちでたくさん読ませてもらったエッセイ、まるちゃんの漫画。


そんなことをインスタにポストしたら、あきちゃんの名前も出していないのにあきちゃんからDMがきた。あきちゃんも私と同じような気持ちになって、このお正月にまるちゃんの漫画とエッセイをあらためて買ったという。ミラクルでうれしい共鳴に、また頬が緩む。ありがとう。あきちゃんち行きたい。子どものころは毎週末、FAXで「あきへ きょうあそべる? まりなより」と書いて送っていたねえ。まだ番号覚えてるよ~。また行くね。

ところで『さくら日和』がなぜ手元にあったのかというと、一昨日、晩御飯を食べた居酒屋で借りてきたからだった。日本人が経営している、地元の居酒屋、という空気感の素敵なお店。Facebookで仕事探しのポストをして、情報をくれた方とご飯を食べに行ったのだ。そんなこと普段の私は絶対しないんだけど、なりゆきでそうなった。コペンハーゲン暮らしは、なりゆきで成り立っている。何も予想がつかないから。

実はそこには、先月ひとりで行ったことがあった。暖簾をくぐって入った瞬間、通路の両脇にずらっと文庫本が並ぶ、すごくいい雰囲気のお店だった。そのときは餃子定食を頼んでテイクアウトしてさらっと帰ったのだけど、2回目の一昨日は、お店の方に「文庫本がたくさん・・・ありますね・・・いいですね・・・・」と言ってみたところ「借りていっていいですよ~~~」と言われ「ほ、ほんとですか~~~!」とじっくり物色させてもらった。そこで見つけた「さくらももこ」。
その日夕食をご一緒した方とも、お店の方々とも話が弾んで、とても温かく楽しい夜だった。つめたい梅酒を飲んで、また餃子定食を食べた。ここの餃子のタレは甘酸っぱくて、とろっとしていて、自宅でのそれと違うからとてもおいしい。デザートのおもちアイスもおいしかった。

その夜、自分で髪を切った。めでたい。
8月の終わりに日本の美容院で整えたボブが、4か月も経つとびょんびょん跳ねて伸び放題、毛先の色も抜けてきて、エレベーターの鏡をみるたびにテンションが下がっていたので、ええいと切った。あごラインのおかっぱ。
完全自己流で後ろも切ったけど、自分で見る分にはわりと整っている。手櫛がするっと通り、すぱっと揃う手触りが気持ちいい。

そうこうしていたら、来週、急遽、トリノに行くことになった。夢みたい。
ほんとに夢みたい。夢に見て、夢だなあと夢の中で気づくあの場所に、戻れるなんて思わなかった。戻れないと思っていた。
たった24時間の滞在になりそうだけど全然いい。
世間知らずで怖いもの知らずのまま、周りの世界をすべてを享受していた、9年前に過ごした街。
だいすきな人に会って、なんども夢にみた道を歩いて、真顔が少しだけ溶けたらいいなと思う。

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