あなたは本当に「知っている」自信がありますか?
「知っているかどうか」
これが最近めっちゃ重要だなって思う。ものすごく当たり前のことなんですけど、当たり前過ぎて多くの人が気づいてないこと。世の中にあふれるありとあらゆることを「知っているか」どうかっていうのは、かなり大事。
なんでそんなことを感じたのかというと、自分のInstagramに対する人からのコメントでそうおもった。たまに地元に友達やYouTubeの視聴者から「たつろーのInstagramを見てると生きてるのが辛くなる」と言われる。それがなぜかと聞くと
「自分は毎日満員電車に揺られて出勤して、かえって寝るだけの生活。でもかたや沖縄でのんびり、好きなことをして海の前で生きてる。年齢もそこまで変わらないのになんだろうこの差はって思ってしまう。」とのこと。
このときに最初に思ったのは「ああ、知らないんだな」ってこと。何を知らないかっていうとそれはもう大小色々なこと。「沖縄で楽に生きる方法」とか「人生は実はどうにでもなる」とか「生活を激変させる方法」とか。そういうものを「知っている人間」と「知らない人間」では、生活や人生そのものに大きな差が出てくると思った。
人間どこか無意識で諦めてしまうし、どうせ無理だって思ってしまう。これの原因は本当に無理だからとかではなくて「実現可能なことを知らない」ていう可能性がすごく高い。僕を例にあげると先程いったような「27歳で海の前で悠々自適に暮らす」っていう現実は実はそこまで難しいものではなく、知恵と工夫と人間関係さえあれば意外と実現できるし、そこまで特別なものでもない。まず大前提として「僕にできることで他人に出来ないことは無い」と本気で思っていて、ぼく程度が実現できることは、その気になれば誰だって実現できる。
ただ、ぼくとその人の違いがあるのだとすると、その方法やコツを「知っている」か「知らないか」のこれだけの差なのだとおもった。人はこの「自分はその対象を知っているだろうか」ということをそこまで深く考えたりは基本しない。故に知らないことにも気づかず、自分が知らないことは「実現できないこと」だという位置づけにしてしまう。知っていれば、簡単に現実化できるのに。
今一度、自分が本当に「知っているか」どうかについて、多くの人が考えてもいいと思う。知らないのであれば調べたり人に聞く。そしてなんとか「未知→既知」に変換できた時、それを実行するか決めればいい。最初からできないことや、無理なことなんか本当はないんですよ。それを知っているかどうか、それだけ。
沖縄おいで~