Life is RESEARCH
携帯の通知音が鳴る。
「◯日空いてる?飲み行かない?」その文字をなぞりながら読み一度携帯を閉じて手帳を開く。携帯に記載されていた日時を確認すると、その日は夜からの予定は何もない。再び携帯を取り出してアプリを開くとメッセージの相手に「夜なら空いてるよ!飲み行こう〜」と何気なく返信をする。
最近はこんな日々が続いている。卒業を迎え、あと少ししかない学生生活を少しでも楽しもうとしている。何かと会う約束を誘ったりもらったりしながら生き急いでいるのだ。何かが生まれるわけでもない。別にその飲み会になんの意味も持たない。でもそんな無意味な集まりが楽しい。月を超えたらそんな無意味な集まりができなくなってしまうのかもなんて怯えながら、ひたすら予定を詰め込んでいる。
どうして人は集まりたがるのだろう。
こんな誰でも一度は考えるであろう疑問を今更になって思う。人と接して互いを共感し合って承認されて生きていく。けれども自分の考えが相手とぶつかると理解しようと努力するか腹を立てて距離を置く。前者なら分かることもあるが、自分から接しに行っておいて理解できなくて腹立てて距離置くなんて自分勝手な話だよなあ。たまにそういう人いるけど。
ただここにこれを書いているのは孤独なまま生きていきたいというアンビバレントアバウトなことを言いたいわけではなくて。所詮自分もその1人に過ぎないということだ。自分は飲み会とかそういうのが大好きである。でもお酒自体が好きなのかと問われたら別にそんな好きなわけではない。飲んで酔っ払ってみんながくだらないことで笑ったりかと思ったらいきなりくそまじめに語り始めたり、そんな雰囲気が好きなのだ。そんな雰囲気を求めて今日も予定を立ててしまう。
きっと高校生の頃の自分が聞いたら驚愕するだろう。あの時は世の中そのものが嫌いだった。生きることがつまらなかった。自分が面白いと思ったものにしか興味を示さなかったし、他人になんて一切興味なかった。視野が狭すぎたのだ。あの頃の自分があのまま今に存在していたら、飲み会なんて場には顔にも出さなかっただろう。4年間で自分は驚異的に変化した。人見知りも高校の頃に比べたらだいぶしなくなった。初めましての人とも気兼ねなく話せるようになったし、他人のことも物凄く興味が湧くようになった。あの頃の自分では良いと思えなかったであることも今では良いと思えるようになっている。だからこそ人間は、人生は面白い。
先週中国地方を旅行した。正直物凄くストイックな旅行だったと思う。何時にどこに行って何時にどこに行ってってきめ細かく考えられてる。自分はわりと時間に縛られずゆっくりする方が好きだから、途中で疲れてぐったりしてしまうんじゃないかって少し心配していた。でも実際に行ったらもちろん疲れはすごいあったけど、その疲れの何百倍も楽しかった。結局宿以外で疲れて寝るって場面は一度もなかったし、終始笑ってた気がするなあ。正直ここって楽しいのかな?って思ったとこも行ったら予想外に楽しさを感じている自分がいた。何があるのか、何が起こるのか分からない。それが人生だ。
Life is RESEARCH
「人生とは研究の日々である」。この言葉はバナナマンの2016年のコントライブのタイトルだ。設楽統が付けたこの冠名が本当に大好きである。何が起こるか分からないのが人生。ならばその人生について日々考えながら研究しながら、その一刻を過ごしていきたい。人生楽もあれば苦もあるし、山もあれば谷もある。でもそれが無駄なことは1つもない。人生の中で必ず生きてくることがあるはずだ。そうやって何事も研究して昇華して、また次の成功や失敗に繋がっていく。人生とは研究の日々である。将来は自分のやりたことをやって楽しみながら生きている。そんな仮説に対する答えをこれから一生かけて検証していこう。