今年は夜更け過ぎに去年に変わるだろう
この時期の街は忙しい。20日近くになると辺り一面がクリスマスというイベントに向けた準備を始める。街も人もみんなその日のためにどうしようかって頭を抱える。
「彼氏のプレゼント何にしようか迷ってて、男性の意見教えてくれない?」
という質問にめちゃくちゃ答えた気がする。これいつも思うけど、その“男性の意見”って俺を男性代表と見立ててるだけで、あくまでも“藤井の意見”でしかない。もちろん“男性の意見”を求めているわけだから、男はこういうのが嬉しいと思うよみたいな回答はするけど、それも“藤井の意見”であるわけだ。そんな考え方しかできないから一度、
「俺よりも“彼氏の意見”を聞いてみたら?」と言ってみたことがある。俺の欲しい物よりも彼氏の欲しい物を買ってあげたほうが絶対に彼氏は喜ぶ。すると、
「サプライズの意味なくなっちゃうじゃん!」
と即答されてしまった。プレゼントがサプライズじゃなければいけない文化っていつから根付いてしまったのだろう。
人間の脳はサプライズが大好きである。意外なこと、予想していないことは脳に強い印象を与える。
脳科学者の茂木健一郎は言っていた。確かにサプライズは嬉しい。こんなことを言っておいてなんだけど俺もやられたら、めちゃくちゃ喜ぶ。でもプロポーズとかなら分かるけど、プレゼントの中身まで全く内緒にする必要があるんだろうか。予想してないようなことが人間が好きなら、中身を明かさずにプレゼントを用意することは難しいい。例えば自分の誕生日とかクリスマスに食事に行ってるなんて状況になったら、正直プレゼントがあるということは予想が付く。それを上回るような物を用意しなければいけないって準備する方のプレッシャーが強い。それなら欲しいものを聞いて買ってあげたい。過去にもそういうシチュエーションになった時は、実用的なものばかり選んでしまっている。そんなことを別の人に話した時にこんなことを言われた。
「物じゃなくて好きな人が自分のことを思ってプレゼントを考えてくれることが嬉しいんじゃないですか」
論破されてしまった気分だ。愛情を土俵に出されたら勝てない。それを考えている時間が幸せだし、考えてくれたことが愛ってことなんだろう。それは理解しないといけないような気もする。そうやって1つずつ自分の意見と周りの意見を擦り合わせていかないといけないから、生きるのは難しい。(でもこの文章を書いたあとにサプライズでプレゼントもらってめちゃくちゃ喜びました)
クリスマスが終わると街はすぐに年末ムードになる。クリスマスイブに誕生日を迎える自分は24日にようやく1つ年を重ねたというのに、すぐに新年が来てしまう。追いついたのにすぐに先を越されてしまうような、誕生日はもう終わったんだよと尻を叩かれるような。毎年そんな気持ちになる。
クリスマスの余韻を消し去るように各地で年を忘れようと必死だ。自分もその1人であることに間違いない。でも逆に1年前のこの時期、自分は何をしていたか思い出すこともよくある。去年のこの時期は、サークル活動で神戸にいたっけ。神戸牛と明石焼きと極寒のバス待ちが懐かしい。1年あっという間に過ぎるなんてよく口にするけど、寧ろあれからまだ1年しか経っていないと思うと1年というものは長い。来年の今頃は何をしているだろうか。どうせ仕事してるんだろうから悲しい話だ。なんて考えていたら、ふと去年の今頃は本当に就職できるんだろうかなんて不安な気持ちを感じていたことを思い出した。そのくせに1年経っただけで来年は仕事して年末を迎えることに劣等感を感じている。滑稽な話じゃないか。そこまで考え方が変わるなら濃密な1年を過ごすことができたのかも。来年の今頃はどこで何をしているか分からない。けれどせめてクリスマスプレゼントを相談される側じゃなくて、相談する側になれるといいなあ。次の1年間で当事者意識を持ちながら価値観を変えてみようか。