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マメを育てる〜その9〜

どうも香川県三豊市で写真撮影・映像制作会社を営んでおります、
藤岡優(ふじおかゆう)です。

先週は映像クリエイターから、写真も撮るようになった経緯を書いてきました。写真をキッカケに自分の生まれ育った町と向き合い、
「この町のために何かしたい!」
というとかっこいいですが、

「生まれ育った故郷を舐められたくない」

と言う気持ちから、所謂町おこしの活動を始めます。

【誇〜ほこり〜】 

生まれ育った町を舐められたくないと強く思い始めた頃に、
当時唯一仁尾町あるおしゃれなカフェ、cafe de flotsに行った時、
マスターの浪越さんにそんな気持ちを話していると、マスター浪越が、、

マスター浪越:
「それなら丁度良い活動があるよ。しかも、その会の打ち合わせが丁度今日の夜あるからおいでよ。」

私:
「なんと!行きます!!」

なんともすごいタイミングです。
その時何の会かはわかりませんでしたが、とりあえず行ってみることに。

参加してみると、少し上の先輩や、後輩も含め5人くらいの若者がいて、
何やら楽しそうに「これをこうしたい、ああしたい、どうしよう」と熱く話していて、、
どうやら、仁尾町にある築100年くらいの松賀屋と言う初代村長の邸宅(巨大な古民家)を守り、有効活用し、地域を盛り上げようと言う会。


そのために一般社団法人を立ち上げる直前の打ち合わせだったのです。

私は大学卒業してから、所属していたダンス部のような、
「同じ志を持って切磋琢磨できる仲間」をずっと探していたこともあり、
すぐに、
「僕も仲間に入れてください!!」
と伝え、一般社団法人 誇 の社員になることになりました。


社員と言っても、お給料が出るわけでもなく何か決められた業務があるわけでもないのですが、町が舐められないためにできること、考える仲間がいる「誇」は私にとっては最高の環境でした。

そこから、松賀屋を再生し、有効活用していくために約2年程活動していくわけですが、結果としてはうまくいきませんでした。
(詳しくは機会があれば記事にしたいと思います。)

簡単にいうと、松賀屋と言う建物が持つポテンシャルと我々のスペックが見合っていなかったのかなと思っております。

当然、改修するための資金の問題、関わる人数の問題等もありましたが、
地域に100年以上ある建物に対する地域住民の想いと、我々の考えのミスマッチもありましたし、メンバーの殆どが30代前半の事業者ということもあり、本業の傍ら事業を進める難しさ。

ただ、約2年間の公益性の高い「誇」の活動を通して、とてつもない程の経験と出会った仲間。
「誇」の事業はうまく行かなかったけど、私の人生にとって3つ目転機となったことは間違いありません。

東京から帰ってきて約3年。
「誇」の活動から蜜に関わっていた、

瀬戸内海のように優しく僕を包むカフェドフロマスター
浪越弘行


家業を“天命”と言ったみかん農家
浅野隆俊


仁尾唯一のスーパーの後継者でもあり仁尾に魂を売ったブラザー
今川宗一郎


 その他多くの出会いを通し、

生まれ育ったこの町仁尾町で暮らすことを決めました。


この町で生まれ育って、この町で暮らしていくと決めて、この町で“幸せにくらすために楽しいことをやっていく。

受け取り方を間違えると、自己中心的な暴走勘違い野郎になりかねませんが、もちろん、背景にはリスペクトする先輩方への感謝、われわれの子どもの未来を考えての“幸せ”です。

どこからともなく聞こえてくる「地域の声」に応えるより、自分たちが本当にやりたいことを実現できるそんなかっこいい大人がいる町になったら、どれだけ子どもたちはこの町を誇りに思えるでしょうか。


写真撮影・映像制作の事業と同時に町の未来も考えるようになりました。


町の活動とともに、本業の方でも大ちゃん(境さん)と言う、相性抜群なパートナーと出会い事務所を構えちゃんとますます仕事っぽくなって、

私生活も結婚し、子どもが産まれなんだか仁尾で幸せに暮らせ出したのです。


今日はここまで、
続きはまた来週。


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