
マメを育てる〜その6〜
どうも香川県三豊市で写真撮影・映像制作会社を営んでおります、
藤岡優(ふじおかゆう)です。
何をやっても続かなく、マメさが欠落している私。
自分の欠点のマメさを育てようとnoteを書き出して、はや6週目。
そろそろマメも育って芽が出てきたのではと、、
たった6回で思っちゃう私です。
さて、私の生い立ちをここまで長々と書いてきたわけですが、
(これまでの記事 その2、その3、その4、その5)
丁度折り返し地点くらいかなと。このペースで続けて書ききれるのか不安になって参りました。
【半泣きで地元(三豊市仁尾町)に帰ってくるの巻】
大学卒業して勇んで出た東京で仕事もプライベートも全く馴染めず、東京という街にフルボッコにされ、大学時代を含め、6年間離れていた地元に半泣きで帰ってきたわけですが、
自信をなくし元気のなかった私も、家族、友人、景色、空気すべてが「おかえり」と言うように私を暖かく包んでくれ、すぐに本来の明るい笑顔を取り戻しました。
そしては私は、
「やっぱ地元最高やん!!」と
「俺はBIGになる↑」→「思ってたのと違う↓」→「地元最高やな↑」っと言う絵に描いた様なUターンで恥ずかしい限りですが、地元を離れるまで当たり前だった人や景色に感動し、「地元最高」と心から思えたのは東京での生活があったからだなと思いました。
その頃仕事は映像からは離れ、地元の広告会社に勤めておりましたが、、、
まぁ使いモノにならないったらありゃしない。
東京で人と遊ぶことがほぼ無かったので、その反動かの様にとにかく遊びまくりました。(3年半ぶりに彼女ができたり。)
深夜まで遊んでいるので仕事は毎日眠たくて仕事中寝たり、週末前は遊ぶことを考え、心ここに在らず。
興味がある仕事ではないと言うのもありますが、、、にしても、ひどい勤務態度。
生活の比率はプライベート98%、仕事2%
そんな状態でも、何とか騙し騙し仕事を続けていると、
ある時、友人から
「友達の結婚式で余興を頼まれたんだけど、ユウ映像作れない?」
と相談が。
映像の仕事を離れて、1年半程経っていましたが友人のお願いと言うこともあり、二つ返事でOK。
久々の動画編集で無料なのに頑張っちゃって、その動画見て「めっちゃよかった!」って言われてなんか楽しくなっちゃって。
同年代が丁度結婚する年齢になってきて、
その頃から余興映像や、ヒストリー映像などの依頼がちょこちょこありました。
はじめはもらった写真でスライドショーを作ったり、少しCGを使ったりと、
編集でなんとかやりくりしてたのですが、自分の編集のスキルの無さ故に、限界を感じて、
素材からつくりたい!
撮影がしたい!
となったのです。
その頃作っていた動画を一部紹介。(ちょっと色々グチャッとなってますがお時間ある方のみ御覧ください。)
余興の依頼はとにかく楽しかったのです。
「余興を任された」と依頼がきて、しっかり友達と新郎新婦の関係をヒヤリングして、いじるのか、それとも泣かすのか。
何より、超絶くだらない事をできる限りハイクオリティな映像で届けるという私の趣味が許されるのは当時結婚式の余興しかありませんでした。
どれだけ時間がかかろうが、初めは無償でやっていましが、「友達の友達の友達」「先輩の知人」とか、もはや他人からの依頼になったので少しお金をもらうようになってきました。
そうなれば、
「このまま仕事にできるんじゃね?」と
1年半勤めた会社を辞めて、いよいよ、
フリーランスとして仕事スタートします!
まるで沢山の依頼があったから独立したみたいな雰囲気ですが、当時、一ヶ月に3万円の仕事があるかないかで、ただ仕事を辞める理由が欲しかったのではないかと思ってしまいますが、月収3万円にも満たない26歳男性。
ある意味良くぞ、独立しようと思ったものだ。
ここから、フリーランス映像クリエイターとして活躍するはずが、、
続きは次週。
ありがとうございました。