私はこの世界が嫌いだ
こんにちは、fizfelisです。
約2年半前、ちょっとメンタルが大変で、世界も自分も嫌いになってた頃に書き殴った文章が出てきたので公開します。素の口調で書いているうえに、酷い乱文ですが、お付き合いいただけたら幸いです。
私はこの世界が嫌いだ
私はこの世界が嫌いだ
私はこの世界はもっと美しいと思っていた。
私は逃げてばかりだ。
私が逃げ続けた虚像は私自身だったのかもしれない。
私は私が嫌いなんだ。
虚像は社会に投影された私だ。虚像ゆえに実体がなく、虚像ゆえに大きく見え、ゆえにそれを守ろうとする。
虚像の属性は社会である。だから、私は人目が嫌いなんだ。
虚像の裏にある実体は、もちろん私自身で、その差がもろに出る試験が嫌いだ。
私は虚像を守るため、今日もつまらぬ張りぼてを張る。
外で勉強するのは早々にあきらめた。そこにある人目は社会に属するゆえに、見える私は虚像だ。
実体との差が露に見えてしまうため、ストレスがやばい。
結局、社会に属さぬ自宅が最も良いのだが、そこには実体しかないゆえに私をモチベートするものがなく、むしろ、邪魔のほうが強い。
だが、遊んでばかりもいられない。時間が迫ってくるから。
そのカウントダウンは、社会や試験による虚像の存在を再び想起させる。
それから逃れたくて、私はただただ現実逃避に走る。
そして、期日の直前、私は自身の虚像を守るために、遅すぎる自己保身に走る。結局それも逃げに過ぎぬのだろう。
哀れな実体を白日に曝さぬための張りぼてに過ぎぬ。
こうして、傷つきながらも虚像は守られ、また怠惰な日々へと戻ることになる。
私は、結局、私が嫌いなんだ。
この連鎖から逃れるには、常に虚像を意識し、そこに近づくというハードな日々を送るか、
虚像を実像と一致させ、無駄なストレスをなくした後に成長するしかない。
どうせ、傍から見れば、私が張っている虚像の下に私が透けて見えてるんだろう。
私は虚像という幻想にすがる哀れな人間に過ぎない。
そうやって、世間から自分を守っている気になっているだけなんだろうよ。
私は私を偽っていたんだ。
虚像を意識し、そこに近づく生活というのは、やったことがある。
寮での生活だ。
一人になれず、常に人目にさらされる環境の中、虚像を張り続け、
理想の自分という目標に向かって、日々行動し反省していた。
3か月はやり切った。あの時の自分に対して、私は何も言うことはない。
本当によくやったと思う。
その結果得たものは、一度壊れた心と、本当に自分が目指したいものだった。
方向性の違いというやつで、私はそこを去った。
本当の自分になるために。
一人暮らしを始めた私は自分が嫌いだった。
怠惰な生活。目標はわかっているのに起こらない行動。
何度決心しても、何度奮起しても、結局同じだった。
私はこれを見たことがあった。受験生の時の、そして浪人生の時の私だった。
どうして私はこんなにも怠惰なのかと、自分自身に失望した。
今回、外的ストレスに押しつぶされて分かった。
結局、社会に対する虚像と、本当の自分の実体という構造は、あの頃と何も変わっていなかったのだ。
寮では、生活すべてが社会に属していたために行動し続け、
家では、プライベートが確保できるがゆえに自分から逃げていただけ。
問題は何も変わっていなかったのだ。
私は私を偽り続けてきただけだった。
必要なのは、自発的な行動を起こす仕組みだ。
虚像の想起は、心を壊すのはもうわかってる。
かといって、逃げ続けると今度はストレスで死ぬ。
まず、外的なストレス要因をつぶさなければならない。
必要なのは、おそらく、虚像と実像の一致。
私は私である、という絶対的な認識と確信だろう。
理想の自分なんて必要か?
今の私がやりたいことをやればいいんじゃないの?
私はそんなに自分が信用できないの?
無論、締め切りはあるし、やらねばならぬこともある。
けど、それに追われてやりたいことができないなんてナンセンスじゃない?
私が生きれるのは結局今しかないんだから、未来に生きようなんて間違ってる。
やるべきことはなくならないんだったら、本当にすべきことを、やりたいことをすべきなんじゃないの
結局不安がなくなることなんてないんだよ
実力とのギャップは決してなくならないんだから
だが、虚像をなくせば、社会との無駄なストレスはなくせる
実力は常に足りてないもんなんだから、気にしてたってしょうがない
少しずつ伸ばしていくしかないんだろうよ
そこの焦りと不安は消えないんだろうが、どうしようもない気がするな
絶対に受かる試験を受けた時ぐらい、常に気楽にいければいいんだろうが、
完璧主義と必要な実力と現在の実力との兼ね合いもあるからな
不安てのは結局見えないから不安なんだ
それを消せるのは情報と実力に裏打ちされた自信しかない
ただまあ気楽にいくしかないだろう
どんだけ練習したって、私は舞台には立てない人間だし、
失敗したって死ぬわけじゃないぐらいの気楽さでやんなきゃ
プロだってミスるんなら、私がミスらないほうがおかしいだろうが
実生活における完璧主義が身を滅ぼしかねないことはマジだと思う。
ので、ほどほどに
理想の8割できりゃ、上々だと思っといたほうがいい
虚像は消して、等身大の私で行こう
やるべきことは適当に
やりたいことを、今やろう
不安は、情報と実力で消すしかない
理想の8割できれば上々だ
私は私だ、これが私だ
やるべきことはやりたいことから生じるということを忘れずに。
そうじゃないやるべきことは多分やらなくてもよいこと。
それなら適当にやってお茶を濁そう。
本当にやりたいことを忘れないように。
追記
ここに書いてある、虚像と実像の一致、私は私であるとの確信、は最近ようやくできるようになりました。そのことについては、「頑張りすぎてしんどいあなたへ」にまとめましたので、ご参考までに。
最後までお読みいただきありがとうございます。
なにかの助けになれば幸いです。
それではまた。
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