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始めたら始まる - サイクリングプラン 1

サイクリングをディレクションした。久しぶりだった。

今回は BROMPTON JAPAN からのオファーで、場所は東京、JCMの就任、CEOの来日に合わせ、ユーザーとの交流の機会を設けるという内容だった。

人と何かをするということが久しぶりだったが、社会復帰の予兆な感じもする。できるかどうかなど考える間もなく、始めたら始まった。この感覚も久しぶりだ。

コミュニケーションの軸となるのは何か、考え始めた。

BROMPTON BIKE 折りたたむことができるコンパクトな設計に加え、走りに妥協がないことがプロダクトの魅力であり強み。根強いファンが多くいる。 ©︎_m_a_r_c_o

BROMPTONはロンドンで生まれ、世界で100万台を売ってきた。日本では過去20年で5万台を販売したそうだ。100万台のうちの5万台と聞くと少ないようにも感じるが、ママチャリ文化が浸透した日本で25万円以上もする折り畳み自転車というポジションを考慮すれば「人気がある」と思える。

その魅力、付加価値はコンセプトにマッチしたユーザーであれば理解できる。いろいろなところで便利だと感じるし、街乗りには十分快適で置き場に困らない。ロードバイクやその他スポーツバイクと目的が異なるため、明確な使い分けができる。

まず、折りたたみの機構がめちゃめちゃ考え抜かれていること。一瞬でコンパクトになるのだが、最初私は畳み方も立ち上げ方も分からず苦戦してその凄さが分からなかった。

バイクを折りたたむと、限られたスペースに20台が余裕で収まった。 ©︎_m_a_r_c_o

しかし扱い方を知り、使えば使うほどに全くストレスなく扱えることに衝撃を受けたのである。使いこなせばストレスフリーでバイクを思いのままに扱うことができる。

次に、ウィールベースやジオメトリーも考え抜かれていること。小径車によくある進まない感覚はない。スタートがクイックで、伸びもほどほど良く、ハンドリングは少々慣れが必要だが、重心を捉えて安定させることができれば違和感なく走れる。もちろんロードバイクのような軽さ速さと比較するものではない。日常的な街乗りには十分快適だ。

最新モデルのTラインに乗るウィル ©︎_m_a_r_c_o

たったこれだけのことで、この自転車を開発した頭脳と情熱に敬意が生まれてきた。その思考の変化において、たったこれだけのことではなくなった。

なぜなら、当たり前のように快適であることは当たり前ではないことを理解できるからだ。このプロダクトの開発は容易ではない。「エンジニアリング」という言葉が頭に浮かんできた。

歴史を積み重ねてきた都市にもエンジニアリングの種が多く巻かれ、都市開発における建築群、ランドスケープ、インフラなどが形作られてきた。

私たちが暮らす街は、継承された価値と、数えきれない変革、融合、試行錯誤の中で変化を遂げ、またそれは今現在も続いているし、人類が消滅するまで変化し続ける。そのためにエンジニアリングは欠かせない。

かっぱ橋本通りからスカイツリーを望む。 寛永寺の高僧が浅草寺に詣でる「御成道」として整備された道。江戸時代の面影は薄れているが、関東大震災の後に創業した100年を迎える老舗から新しいお店まで多様に生業を垣間見る。 ©︎fixy55

エンジニアリングは夢を現実のものにする技術であり、それなしには何事も成せないモノである。しかしそこで終わってはいけない。そもそも何かが開発されるには目的があるのであって、その衝動が根源的な夢であるという循環。

多くの夢や野望、意思を具現化してきた先には何があるのか? 夢を生み出すものは何なのか? 私の考える序列では、あくまでもその何かにこそ人生を豊かにする価値がある。

BROMPTONで東京を走るということ。

それは、意図せずそこにある環境で創造性を持って遊ぶこと。五感を通じた体験から得る発見や気づきが楽しく喜びへとつながること。それらの共感から喜びを増幅させること。豊かな人生への手がかりを散りばめることが私の役目。

それはエンジニアリングとは対照的に、ブリコラージュ的な思考の表現であり、その表現はエンジニアリングに支えられるという循環である。これらがバランスよく配置された時、最高の体験がデザインできるのだと思っている。

東京大学 工学部一号館  1888年 - 明治21 ©︎fixy55

UKと日本の関わりと、自転車と都市という観点から、近代から現代までの建築史を巡りながら「エンジニアリングとブリコラージュ」という裏テーマで繋がりを表現しようと考えた。

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