未熟なの
なんとも一言では表現しきれない時間だった。なので今書いている事もまとまらない気がするんだけど、それでも書いておく事にした。
展覧会に行くというのは、ちょっとした覚悟というか、ささやかな心の準備が必要だ。なぜなら、作品と対面するという事は、己と向き合う事だから。
その時間は、「㊙︎展」という名の膨大な思考と時間の蓄積であった。私にとってはちょっと情報が多すぎたというか、自分の脳の容量が小さくて追いついていない。
この手の展覧会はさらっと流し観て、気になったものを抽出して観ていくのが精神的にも体力的にも丁度良い。だけど、あれもこれもと見入っている内に閉館時間になって追い出されるという不完全燃焼となってしまった。
つまり、自分にとっては興味深かい情報が多かった。おそらく、多くの人にとって興味深い内容だと思われる。世にあるモノの裏側の世界。
ラファでいうところのインサイドストーリーから出発し、形になっていくまでのプロセスが可視化されている。プロダクトの完成形からは全ては見えないからこそ、裏側を見せられると引き込まれていく。
私の仕事で言えば、その先の価値をデザインすること。私にとっては、自転車に乗る事そのものが、ある考えを持って表現することと同じで、企画ものは何かを感じて欲しいと思ってやっている。
体験をデザインするという表現が適切かどうかはわからないが、そんな感じ。デザインというか、作品作りに似ている。ランドスケープ・インタラクティブ・インスタレーション的な?感じ方は人それぞれなんだけれども。
その中にも社会的思考が働いていて、地域貢献だとか、社会共存だとか、もちろんビジネスなのでブランドロイヤリティとか、エンゲージメントとか、最終的には売上に繋がらないといけないから、やはりトータルでデザインされなければならない。
個人的に、音楽やアートに近い形でやりたいと思うのは、社会性という部分に自分が感じているメッセージを込めたいからというのもあるのかも知れない。メッセージというのは、大体ある種の不満というか問題意識的な感じ。
楽しい事はとても重要だし、楽しそうなところに人は集まってくる。だけど、個人的にはただ楽しいだけでは空虚さが残ってしまう。やるからには何かしらの意義を感じたいのだ。
主張が強すぎると自己満足的なものになってしまう危険性も孕んでいるが、そうならないためには楽しめるものにしなければならない。バランスなのだろうけど、最近はそのバランスが自分の内側に偏ってきている。
「デザインとは問題を解決するためにある」
ジョージ・ネルソンの言葉はやればやるほどに、仕事そのものがそうだと再認識させられるわけだが、今の自分の狭さを自覚して、俯瞰の目を持たなければならない。
このタッチはとても好きだったので、切り取った。久しぶりに、スケッチをしてみるか!