籠
閉じ込められた世界から抜け出すことの難しさ
自転車に関わる様々なコミュニティがあるが、それらに限ったことではなくどんな分野でも抱えている問題であろうとは思うのだが、とにかく自分たちの繋がっている世界は広いようで狭い。
日々の暮らしの中で自転車に乗って移動している人は多い。何気なく乗っていても自転車の価値というのは、思っているより尊いものだ。その暮らしに豊かさや幸福感を感じている人は少なく無いだろう。
同時に危険と隣り合わせであることはいうまでも無いが、もっと安全に安心して暮らせる社会を目指すとか、自分たちの住む環境や道路環境を良くしていこうとか、思いは皆同じくしていることだろう。
しかし、当たり前だが立場が変われば考え方も違う。100%意見が一致するなんてことなんてあり得ないのだから。
昨日、自転車活用推進研究会がオンラインで開催され、そこで疋田智氏が「非歩道通行論」という考え方を提唱していた。
自転車は歩道を走らない方がいろいろと都合がいいということだ。個人的にも同意なのだが、さまざまな意見や情報が共有され、それなりに意義のあるディスカッションが交わされた? 意義があったことには違い無いのだろうが、しかしなんかもやもやした感じ。
皆が同じ方向を向いて、同調していて一見すごくいいことをやっているように見えるのだが、何かが足りない気がした。そこには立ち位置の異なる違う意見の持ち主がいなかった。つまり多様性がなく、これが正しいという一つの意見に沿って話が展開していった。
そういう人たちの集まりなのだからそうなるのは当然といえばそうなのだが、なにか、それでは実現性を持たせるためのディスカッションにならないように感じた。
賛同者が増えることはもちろんとても重要なことで、数の力に繋げていかなければならない。ただ、それと同時に違う意見とも常に対峙して、コミュニケーションがなければならないだろう。
社会の問題や仕組みを考えるということはそうではないか?
つまり本質的な議論になっていなくて、考え方の共有みたいな感じ。主宰である小林さんは、自転車活用推進法が出来て様々な取り組みが始まったものの、また大きな壁にぶち当たっている。その壁を打ち破るために、これからのアプローチやアクションをどのようにしていけばいいのか、真剣に悩んでいる。
この会議の内容に否定的な人もいるだろうと聞くと、たしかに居ると言っていた。政治の世界で大物といわれる人たちの中でも数名は首を縦に振らない。なぜか?それはわからない。
しかし、ここ数年政治の世界でも賛同者が増えてきていることは間違いなくて、このコロナ禍でその流れを加速させるタイミングでもあり、政治の世界ではそのための意見交換が活発に行われているようだ。
我々には見えないところで動いているため、日本の行政はダメだとなる。情報を取りに行くにしてもなかなかたどり着けないし、意見を届けるための手段を知らない人が圧倒的に多いだろう。私もそうのように感じている。
ただ、楽しみを広げると同時に思考を促すことをやめてはいけないと改めて感じた。もっと仲間を増やして、自転車のある生活の価値が底上げされることは、我々が望む未来にとても必要だということ。
政治家や政治屋でもいいが、利己的でうまくやっている人でも数には敵わないだろう。理想論でもあるが、日々自転車に乗っている人は日本にはすでに多くいるのだし、価値を上げていかねばならない。
「いかなる創造も、始めの一歩は壊すことから始まる」
忘れてはならない、ピカソが残したことの言葉の通り、これまで積み重ねられてきた普遍的な価値基準というのも壊していかねばならない。
日本の統計で自転車の保有台数はおよそ6600万台、東京都にはおよそ800万台とされている。この中でどのような利用がされているかというのがポイントであるが、おおまかなところで自転車の利用をポジティブに考えて利用する人は増えているようだ。一方で東日本大震災の翌年2012から2018年を比較すると、乗らなくなった人が増えているのも見て取れる。
興味深いのは利用用途で、買い物が圧倒的に多いのだが、それに次いで趣味・遊びが多く、3番目に通勤がきている。なんと、自転車で通勤している人は20%以上いて、しかも増加傾向にある。たぶん、想像以上に多いような気がするし、いい流れはきていると言える。
(参考:自転車産業振興協会2018国勢調査より)
通勤を自転車で!っていう人はどんどん増えて欲しいと思うが、たぶんある程度増加した時点で、共存問題が再熱してくるだろう。それらに対応すべく、多くの人の意見を集約させて行政に届けなければならないし、行政の対応が共存社会へ向けた在るべき姿であって欲しい。
だから、あれですよ。いろいろと意見を交わすことを、そして人に意見を求めることを日々心がけるといいですよ。香港を見ているとなんともいたたまれないが、日本は言いたいことを言える社会であるし、家族や友人、会社や行きつけの店、地域自治体の中でも、自分の意見を伝えることを心がけて行きたいと思う。
そうしないと、結果狭い籠の中で一生を終えることになる。窮屈な世界ではは息もできず、皆が幸せを感じられる社会の実現は遠のくばかりでしょう!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?