永遠のモラトリアム
大人になる瞬間っていつなんだろう、、、
生まれてきた瞬間から世界は出来上がっていて、自分が疑問に思うこともルールだからと言って従うような教育がなされて、そんな不条理な社会に馴染んでいる人に対して疑問を抱くようになると、大人や公人は信用できない存在となった。
父は多くを語らない。世の中の不条理に納得して生きていないという印象であるが、でもよくよく考えてみると仕事は公務員だった。口数少なかったのは、自分の考えと行動が一致していないという自己矛盾を孕んでいたからかもしれない。
だとしたら、同じだ…
自分は永遠に世の中のシステムに馴染む事はできないと、つくづく感じる。適合しなければ排除すると言われれば、排除されるだけ。
くだらないルールと言われる決めごとには意味を見出せず、それを避けるか、無視をする。もちろん意味のある決め事には納得するし、それに従う。
誰かが作ったルールが正しいっていう事が成り立っているのが国や地域自治体という集合体で、それ自体はすごい事だと思うけど、ルールは時代に適合していなければならないだろう。
ルールは普遍ではない。そんなモノは問題視される前に改善してもらいたい。国をリードする人たちが最も遅れをとっているのが現実であるならば、彼らが信頼されないのは何もおかしな事ではない。
じゃぁそれを変えたければ、政治の世界に入って、あるいは官僚になって自らルールを変えたまえ。と言われるかもしれないが、そんな事のために自分の時間は使いたくないね。
くだらないルールというのは、自分にとってとても価値の低いもの。そんな価値の低いものに自分の時間を費やすなんて、限られた人生の時間をそんなモノに費やすハズないじゃないか。当たり前だろう。
信用がないものは通貨として成り立たないように、信用のないルールはルールとして捉えられないだけのこと。守らなければならないと教え込まれて、そのように思い込んでいるだけで、ルールなんてものはそもそも重要ではない。
世の中は平等ではない。いろいろな差があるのが当たり前。だけど、誰かの振る舞いが目についたとしても、それが人道から外れていなければだいたいの事は許せるだろう。
修身とか道徳心とか人道とか、そういった人の道を見失っているのが今の社会なんだろうと思える。乱れた世の中をルールでうまく回そうとしてもうまく行かないだろう。多様性、共存できる社会、まぁもはやそんなことは無理ってことくらいは分かるけど… それでも共生していかなければならない。
大人になるってなんだい?おっさんにはなったけど大人にはなっていないと思っているし、自分が認識している大人にはなりたくない。
キモいヤツとは関わりたくない。と思っている自分は誰かから見るとキモいヤツなわけだ。そうしたら自分の周りにはダレも居なくなる。世の中そんなもんだ。
ステキな人!って思ってステキですね!ってことばでポジティブマインドをつなげていく。そのうち心からポジティブになってステキな人生を送る。
孤独を恐れず、自分に向き合い、他人のせいにせず、良いことは共有し、おかしな事には異を唱え静かに沈める。
だからルールを守ろうなんて薄っぺらい言葉は使いたくないのだよ。
大人にはなれないけど、良いおっさんにはなりたいと思う。