底上げ
物事の価値というのは、過去に振り返って積りに積もって出来上がった社会的な共通認識ということだと思うのだけど、サイクリングといったことに関しては悲しい現実の中にいる。
「世界はモノよりも体験に価値を見出す時代である」と言われるようになって久しい。しかし、日本においては本質的にそのようになっていないと感じることが多くある。そう捉えるしかないような現状が目の前にある。
自分の時間とお金をどこに使うのか?私自身は稼ぎが少ないので、有言実行とはなかなかいかないのでこれも悲しい現実ではあるが、サイクリング=旅として捉えた時に、そこにどれだけ投資できるかはとても重要なテーマである。
自分が仕事でこれまで行ってきた活動が足を引っ張っているということもあるのかもしれない、失われた30年が足を引っ張っているのかもしれない、いずれにせよ自分ひとりではできないことに対して対価を払って、体験を得るということに関してはなかなか浸透していない。
どうすればその価値が見出されるのだろうか?サイクリングそのものは自転車さえあれば、低コストで楽しみを享受できる。だけど、それで満足していては、世界は広がらないし、そのうち飽きてしまうだろうし、文化として成長しないばかりか、社会に受け入れてもらえない。
多くの場合、サイクリングではない同等か、それ以上の価値を持つものと組み合わせることで、ようやく時間とお金を費やす気になってくれるのだが、それでもコストを賄うので精一杯だ。ツアーやガイドの相場を見ていると多くの場合は利益は全くないどころか、赤字でやっているんじゃないだろうかと思える。ただ好きだからやっているみたいな。
だから、多くの事業者が他の事業者のブランド力や何かしらの価値を頼って価値の底上げをしようとする。それでも採算が合わない。それで多く開催されてきたのが、大人数を集めるグランフォンドのようなサイクリングイベントであったのかもしれない。数でカバーするしか利益を上げる術がないということ。しかし、数千人規模のイベントをやる時代は過ぎ去った。(それはそれでいいけど)
コンパクトで、よりコンセプチュアルに、より高い価値を持って、さらに言うならばパーソナライズされて行うサイクリングの体験に、どれだけ払えるのか?
悩ましい。中途半端なところでは成り立たない。だから突き抜けるしかないのか?
寂しい。豊かさとはなんなのかと口ばかりでは変えられない。
いろいろとトライしたい。
失敗してもいいからどんどんやりたい。
時間とお金を、全国の地域へ分散させたい。
そのうちの数パーセントは利益として得られるような価値を作りたい。
サイクリストも、受け入れる地域の人々も、社会も、経済も環境も、そして企画者も、全ての方向に対してヨシとなるような価値を創りたい。
そんな、三方どころか六方へのバランス感覚を持っている人は、居るにはいるのだろうけど、とても少ないと感じる。日本が豊かになるには、これくらいの変化は起きないといけないと思う。
政府がこれまでに取ってきた経済対策は、内部留保や投資家には行き渡っているようだが、庶民には行き届いていない。それどころか、全体としての所得は減っているらしい。
悪循環から抜け出せていない。外に目を向けられないから、格差が広がって、分断も起きる。
サイクリングなんて言ってたら鼻で笑われる。そんなもんなくたって生きていけるのだから。そうなのだ。サイクリングとは嗜好性の高い趣味であり、人生においてなくても困りはしない。
ファッションや音楽、美食、アート、その他の多くのスポーツなどと同じカテゴリーに分類される。
しかしだからこそ、豊かさに繋がるのである。
もっと上げていこうぜ!
#CycleCulturalStudies #choosecycling
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