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ゼロか全部か

何気ない感覚的なこと、だけど明確に人の癖としてあり、個性と言って良いのかは分からないが、人の特性として認識されるものである。

チョコレートを買った。家に帰っておやつを食べる時の幸福感がたまらない。私の癖は、買ったチョコレートを開けたが最後、なくなるまでそのままの勢いで食べてしまう。

ごはんを作った。お腹が空いていれば多く食べたくてたくさん作ってしまう。そして作ったら最後、食べ切るまで食べ続ける。多くの場合適量を超えてしまっているので、結果食べすぎで後悔することは少なくない。(最近はだいぶマシになった。)

あるものは消えゆく。消え去るのを見届け、あとには何も残さない。

特に食事の後の残心はこだわりがある方かもしれない。

何もない痕跡は美しい。

お金を稼いだ。稼いだが最後、なくなるまで使ってしまう。しかしこれは美しくない...

お金は残そうや!とは思っているよ。でも気がついたら無くなってるんだな...

同じことが他にもある。

文章を書き始めたら、納得できるレベルまで持っていかないと収まりが悪い。結果ポストしない。これも、ブログやSNSが安定しないことの理由の一つと言える。

写真を撮る。納得のいく写真じゃないと、見せられない。

絵を描く。終わりのない世界...

洋服は同じブランド、あるいはまとまった色で揃えたいタイプ。

自転車はトータルコーディネートでバランスが大事。結果多様なファッションに合わせられるように地味になる。

何かを始めようとするとき、何かを選択するとき、中途半端では動けない。完璧とまでは行かなくとも、ある程度納得行くまで想定しないと次にいけない。

ナルシズムであり、ワガママである。

いわゆる完璧主義者の部類に入るのだろう。

自他ともに認める私の癖である。

ゼロか全部か。

いい面もあるのかもしれないが、デメリットの方が大きい。

特に、世の中のスピードが凄まじく早くなった現代社会においては、スピードこそが武器であり、信頼を勝ち取るための必須マインドセットだろう。

完璧主義者はそこで置いていかれる。

やり方を変えれば良いと言われる。

でも思考によって行動に移行するというプロセスにおいてはそう簡単ではない。だから習慣化せよ!と、体が条件反射的に動けるくらいまでトレーニングをする必要があるということだ。

脳科学の世界では、運動は脳から神経を伝って筋肉へ指令が行って動くというように考えられてきたが、実はそれだけではないことが分かって久しい。

しかし、ある部分では理解していて、世の中にはグレーゾーンが必要であるということ。

今日、ある人とそんな話になって大いに共感したのだ。

私はグレーゾーンに生かされてきた。

世の中は色々な事柄を型にはめ込んで、システムで社会を回そうとしている。そのうちいろんなものがスッキリするのだろうか。

だけど、そのシステムを完璧にしようとすればするほどに、当てはまらないものは次から次へと表層化してくるのだろう。

完璧を求めてはいけない気がしている今日この頃であり、そもそも完璧などということはこの世にあり得ないのかもしれない。

...ほら。チョコレートがなくなった。

この自己矛盾こそがグレーなのであって、世の中もそうなのだろう。

それを認めよう。

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