HSP関わり方

自分は繊細であるというヒトが増えてきた。
だから、大切に扱えというのだ。
こういうものいいは、怒られるかもしれないが。

もちろん、繊細で、敏感な方はいるのだと思う。ゆえに、その感じ方に対しては、そうでないヒトは、意図するしないにかかわらず、わからないのだ。

同じようなことは、パワハラやセクハラにも言えるのかもしれない。やった本人が、気づいていないところでパワハラ、セクハラと言われてしまうのだ。

線引が難しい以上、本人の感じ方に頼るしかないのだろうか?それでは、する方も、される方も、びくびくしながら生活するしかない。

どちらにも、win-winではないこの状態をなんとかできなかろうか?

わたしは、どちら側にも、理解が足りていないのではないかと考えた。
たとえば、繊細でない側は、繊細な部分を持っていないわけでなく、大きさが小さいのだ。逆に、繊細な側は、この繊細でない部分が小さい。

ちょうど真逆ではないにしても、この大小の違いがお互いの齟齬を生じさせているのではないか?

もちろん数値で測れないのであるが、歩み寄りはできるはずだ。

初めて刺繍針の先端に触れたとき、チクッと痛みを感じる。どの程度で痛みを感じるのか?もちろん深い傷を負う前に少しだけ痛みを感じてみる。

医療従事者でない人間が注射針を人にささなければならない状況を考えてみてほしい。

やはり、少しづつ、相手の様子を見て刺していくであろう。

今の話では、繊細側を刺繍針を刺される方に例えた。

相手の許容度を図る、もしくは、自分の許容度を図る方法として、少しずつ関わっていくことが必要なのだと思う。

子供は、限度を知らない。どのくらいの強さで叩いたら、相手が泣いてしまうのか?自分の手がジンジンしてしまうのか?言葉では、わからない。もちろん怪我はさせたくないが、子供でも、少しづつ学んでいく。わたしたち大人ができなくは、ない。

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