6月13日(月):人の顔が見える現場に②
昨日は書籍「ケアとは何か(村上靖彦著)」を引き合いにケアの現場への問題提起として挙げられていた「人の顔が見えなくなっている」状況について記しました。
そこでは何のため、誰のためが欠落した「目的の倒錯」や「手段が目的化」、「機械化」によってモニターの数字ばかりに気を取られて人が置き去りになること、「効率」を重視しすぎて手間と時間をかけることが敬遠されること、業務的な「過負荷」によってスタッフ側の時間的・物理的な余裕がなくなること、そして医師と看護師との「ヒエラルキー」などが挙げられていました。
人の顔が見えなくなっている点への懸念は医療現場だけに限らず、消費の現場でも類似したことは起きていて、私たちフィットネスクラブにとっても他人事ではありません。
「人の顔が見える」現場をどう作っていくか、これはフィットネスクラブでも大事なことだと思っています。
では、フィットネスクラブにおいてそれを阻んでしまう要素にはどんなものがあるのかを考えてみます。
・数字偏重
経営、運営をするなかで定性的な面を勘案せず定量的な観点だけにとらわれてしまうケース。数字で数字を作ることへの盲信や数字市場主義。
・効率重視
昨日に触れたケアの現場と同様で効率、合理性一辺倒、ローコスト運営に終始することで現場での人的な要素が排除されていきやすい。
・過負荷
業務過多になることでの物理的、心理的余裕が失われることはケアの現場と同様。特にフィットネスでは現場での対お客様での業務ではなく、バックヤードでの関節業務が増えすぎることで顧客接点が乏しくなる。
・本社主導(現場不在)
医療の現場におけるヒエラルキーに近いもの。本社が考えて決めたことを現場が実行するだけの形。お客様と最も近い距離にいて、直接的な接点を持つ現場から感度や考えることが失われた状態。
・価値観
会社やクラブとして何を大事にするかの価値観、判断基準。ただし、これは是非の問題ではなく方向性の部分での考え方そのもの。
ざっと挙げるとこんな感じでしょうか。
最後に挙げた価値観の部分で初めからからハードのみにフォーカスして、施設としての空間、時間を提供することで割り切っている分には「そうしたクラブだ」という話ですが、問題は人を大切に、とか地域密着、コミュニティを掲げていながら、人の顔が見えなくなっているケースです。
これらは現場スタッフがそのことを意識をする、といった漠然としたものだけでは変えられない構造的な要素をはらんでいます。
退会率やお客様の継続に関連した種々の指標などは、あくまでも結果としての現象であって、その現象を生んでいるのはクラブを取り巻く構造的な要素を含むエコシステム的な部分が大きいですからね。
そうしたところまで遡った構造転換をしていくことが、アフターコロナでフィットネスクラブがお客様の顔、そして売り手であるクラブ側の顔がよく見える現場をつくるために必要なことだろうと思っています。