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【最底辺の仕事は街づくり2】

もともと成り立っていたものは何が支えていたのか
それは1人1人の小さな協力であると私は思っています。

日々の生活を100の力を使っていると仮定します。
自治会やPTA等、はこの100の力のうち
1~10程度の力が集まって成り立っていたと考えます。
PTAで例えるなら会長になれば10の力を要求されますし
一般参加であれば、会議に参加するなど1の力を要求されます。
PTAは各小学校で行われますが、私の通っていた小学校は
1学年約100人だったので、1の力×100人の保護者=100のリソース
が子ども達のために還元されていたのです。

無償の愛とも捉えられますが、こうした集団の力によって
立場の弱い人(子どもやご老人)は支えられていたのです。
ここには地域という自分事の概念があるからこそ
人々は力を差し出し、大きな力を生み出していたのです。

現代はどうでしょう?
個人主義が進む中で、地域や集団に力を注ぐ概念が
薄れてきてはないでしょうか?

確かに集団になる事で個人負担や、集団の長によっては
不利益を被ってきた人がいるのも事実でしょう。
参加するのもしないのも個人の自由。
聞こえのいい言葉ではありますが、その選択をし続ける事で
あなたの住む町から100のリソースが失われているのです。

その100のリソースどのようにカバーしますか?
・特定の誰かが多く負担する(地域のイベントなんかはそうですね)
・お金を払って誰かに委託する。(マンション管理とか)
・誰もしないので活動がなくなる

この影響を最も受けるのは誰でしょう?
立場の弱い人間だと私は思っています。
社会人である私は無いものはお金で買う事が出来ます。

お金を持たない(自由に使えるお金が少ない人)はどうなりますか?
無い環境で生活していくしかないのです。

個人主義は格差を助長させます。
力がある人が個人主義をいうのは理解できない事もないですが
現代人は力のない人も聞こえのいい言葉に騙され
個人の自由だ~と叫んでいます。

聞こえのいい言葉は本質的ですか?

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