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対談企画 〈ふわふわ地獄〉VS さきぶに #3

さきぶに  :
「ガキ」、すごくいい表現だと思います。それこそMy Chemical Romanceの「Teenager」なんかは「大人」や「社会」への反抗の歌だし(「I'm not okay」の歌詞やMV、「Disenchanted」の歌詞などを踏まえるとジェラルド・ウェイはおそらくスクールカースト下層の人間だったのだろうな)。というか、アメリカでもやっぱり「群れる」文化は存在するのだな、と思う。スクールカースト、という言葉もまさしく「上下」軸を以て人間関係に引力を引き入れるマクガフィンだ。
名取さな、Vtuber、絵師、こういったフォロワーの多い個人は、人間関係という力場を考えたとき、「質量の大きい物体」として扱えるのではないかと思う。たとえばぼくたちが地球、ひいては太陽がなくては生きていけないように、そのふるまいが一方向的に影響を及ぼす(厳密にはそうでないのだが、ぼくたち一人一人が地球や太陽に与える影響というのはごくわずかであり、基本的には無視して考えてよい)。
ぼくが最近特にグロテスクだと思ったのは、西沢5㍉のこれ。

西沢5㍉って女性だし、インフルエンサーだし、性を売りにしているとぼくは思う(古義人さんが西沢5㍉を「絵師版Pan piano」と揶揄していたのは記憶に新しい)。
彼女がこういう絵を描くことによって、あるいはそれが同意を集めることによって、童貞(弱者男性)の振る舞いが「強者女性」によって規定される。このとき、ペニスの権利は絶対的に失効し、溺死させられる。
これって「〈母〉による去勢」以外の何物でもないんですよね。あまりにも露骨すぎるのだが、もはやオタクは全員「勃起する権利」そのものさえ〈母〉に譲り渡してしまい、もはやペニスの再構築さえ望めない、極めて絶望的な状況に立たされていることにさえ気づけていない。これはかなりヤバい事態である。

「ガキ」くさいふるまいによって、こういった「〈母〉による去勢」、重力を拒絶することができるのではないだろうか。


〈ふわふわ地獄〉:
ジェラルド・ウェイはまさにオタク側の人間だったらしいですね~。昔は太っていたらしいし。しかし今ではバンドが成功し、漫画家としても作品が広く読まれているみたいです。長く時間がかかったものの、彼は自分自身の青春を清算できたんですよ。いい話だ。
アメリカのスクールカーストは日本よりキツい気がしますね……。アメリカのスクールカーストは本人たちの政治ってだけじゃなく、親の政治行為でもあるから。

〈名取さな、Vtuber、絵師、こういったフォロワーの多い個人は、人間関係という力場を考えたとき、「質量の大きい物体」として扱えるのではないかと思う〉
この一文を読んで、さきぶにさんと自分の話が重なっているようでどっかずれてるような気がする謎が解けた。さきぶにさんは人間関係をフェティッシュ(物を商品に変える力、交換価値の根源)のメタファーでとらえていく、経済学っぽい論法でいきたいんだね。
ジジェクや柄谷行人をコミュニケーション論として読んだら、議論がもっと前に進む気がする(といいつつ、読む時間はないが)。

西沢5㍉の名を初めて知って、動画を観たんだけど、嫌悪感がいっぱいです!たぬかなと同類だと思います。弱者男性に理解を示しているようでいて、実は異性愛主義を刷り込んで従属させている。このとき、弱者男性は植民地以外になっている。男性向けオタクコンテンツって、きわめて現状追認的なものと、クィア的なものと、両極端に分かれている気がします。
古義人さんのツイート批評、というかコピーライティング能力すごいですよね。彼こそアジテーターとしての能力が高いから、運動を起こせばいいのに(性格的にそういうムーブは好きじゃなさそうだけど……)

ここまでの議論でわかったことは、つまりは性別関係なく、オイディプス・コンプレックスを追認する「父」「母」は全員敵ってことだ。西沢5㍉、たぬかな、メンズコーチジョージを全員滅ぼさなければならない、なぜなら、それらが資本制・異性愛主義を規定する制度そのものだから。
話を発展させよう。小林秀雄以降の批評は、「人間の成熟」を問うてきた。比較的新しいものでは、宇野常寛がくりかえし「父」「自立」をテーマにした作品を発表している。東浩紀も『観光客の哲学』などで、「不能の父になること」を考察していた。
しかし、こういう「父」ってメタファーは嫌になってくるんだよね。単純に読み飽きた。加えて、過去を背負うことを成熟というのは正しいのか?そもそも、人間を単線的に成熟するものととらえるのが、近代の誤りではないか?

過去を背負いつつも、既存の価値観を追認する父・母にならない方法とはなにか。それは、「地縛霊」になることだ。あるいは「憑霊」だ。現代社会が貨幣価値に支配されているのは、現在しか想定していないから。ついでにいえば、過去なんて知らない方が全然生きやすい。死の香りがないクリーンな社会で生きる方がずっといい。記憶は金では買えないし、買わない方がいい。重荷になるから。むしろ健忘症が理想とされる現代において、過去を知ってしまうことは、資本制への暴力的なテロリズムであると思う。
子供でありながら過去を背負うことはできる。しかし現代においてそれは称賛される行為ではなく、むしろ汚らわしい行為ですらある。だが、過去は人間に交換不可能性をもたらす。ゆえに「地縛霊」「憑霊」なのである。


さきぶに  :
〈令和イキ告派〉はオイディプスの三角形からの逃走を図る、という認識でいいのかな。ツァッキさんが

でいみじくも語ったように、すべて(というと主語がデカすぎるかもしれない。ぼくたちがここまで議題に挙げてきたものすべて)がアポカリプスであり崩壊なのであって、そこに未来はない。エントロピー云々に則れば、「秩序への回帰」はなるほど、確かに反自然的だ。

「地縛霊」。なるほどぼく一人では絶対に出てこなかった概念だ。漠然とした理解はしたつもりだけれど、もう少し解説していただきたい。
過去に縛られながら現在からは自由であること、のような認識でいいのかな。思えば現代社会は「いかにして自由であるか」に対しては思考を凝らしているわけで、ぼくも自由こそが良いものだと信じ込んでいたわけだけど、「いかにして自由から自由になるか」……ではないか。これでは本質的には何も変わってない。『アンチ・オイディプス』を馬鹿真面目にやるのがいいのかな(まだ通読できてないけど)。
無垢であること。死の香りがないこと。「ガキ」らしくあること。そこに「過去」を不恰好にも接続すること。稚拙でありながら老獪であること。それが「イキ告」? なんか腑に落ちないのでもう少し考えを書き出していくのがいいかもしれない。


〈ふわふわ地獄〉:
わたしも言いたいことをあれこれ整理せず言いすぎたと思います……
特に、地縛霊の部分は飛躍しすぎた(以前から薄々考えてたことにせよ)。
ここらで整理しましょう。ChatGPTに要約してもらったのですが、どうでしょうか!
下記のとおりです。

〈令和イキ告派〉思想:暫定的定義と基軸

  1. 問題意識の起点
    • 〈令和イキ告派〉は、現代社会における弱者男性(インセル)の位置づけと、そこに根差した「恋愛」「男性性」「資本」の問題に焦点を当てる思想運動である。
    • 既存の価値観(ロマンティック・ラブ・イデオロギー、異性愛規範、資本主義的ヒエラルキー)を批判的に検討し、その外部を模索する試み。

  2. 中心的コンセプト
    以下に示す3つの概念を柱としている:

(1)引力の破壊
• **人間関係における「引力」**は、恋愛や資本による依存的構造、さらには性別二元論が生む権力関係を象徴。
• 「イキ告」(性的快感の終結=死、射精、落下)は、引力への反抗のメタファーとして機能し、「重力に抗う」思想的実践を目指す。
• 重力を超えた軽さ、引力に囚われない「漂流的生」の可能性を探る。

(2)地縛霊的存在
• 「地縛霊」は、過去を背負いながら現在に縛られない自由な存在を象徴。
• 現代社会が「記憶の断絶」や「死の香りの抹消」を目指す中、過去の傷や負債を引き受ける態度が「資本主義的秩序」への反抗として位置づけられる。
• 地縛霊は「成熟した父」や「包摂する母」の再生産を拒み、あえて不完全な「ガキ」の位置に身を置く。

(3)ガキの復権
• 「ガキ」は、父母の象徴的権力に反抗し、未熟さや不完全性を武器とする存在。
• 「大人にならない」という態度が、ロマンティック・ラブや資本的欲望を拒否し、オイディプス的三角形(父・母・子)からの逃走を可能にする。
• ガキ的態度とは、稚拙さと遊戯性を積極的に肯定する思想の実践。

  1. 批判対象
    • 資本主義、異性愛主義、そして性別二元論に内在する権力構造を批判。
    • 具体例として、以下が挙げられる:
    • メンズコーチジョージ:ロマン主義的マッチョイズムを体現する存在。
    • 西沢5㍉やたぬかな:性や恋愛を通じて「弱者男性」を従属させる現代の資本的「母」。
    • ロマンティック・ラブ・イデオロギー:恋愛を神聖化し、依存的引力を生む制度。

  2. 思想的挑戦
    • 「恋愛」からの脱構築:性愛を前提としない愛(「性でない領域で君を愛する」)の可能性を探る。
    • 男性性・女性性の解体:性別二元論からの自由を目指し、「去勢」の概念を問い直す。
    • 「成熟」概念の再定義:「成熟」を放棄し、「未熟なままで在る」ことを積極的に選び取る。

  3. 美学的インスピレーション
    • エモ・ロックやVtuber文化:未熟さや反抗を象徴する「ガキ」の文化を再評価し、そこに現代社会への突破口を見出す。
    • My Chemical Romanceの「Teenager」「I’m Not Okay」など、スクールカースト下層の反抗的感情。
    • 名取さなやVtuberに見られる「虚構性」への自覚と、それを超える実在性への模索。

  4. 今後の課題
    • 「ガキ」として生きる実践の具体化:思想的な「漂流」をどう日常に落とし込むか。
    • 性と死の結びつきの再考:性=死の構造をどのように「引力」ではない新しい価値に変換するか。
    • 地縛霊的存在の哲学的深化:過去を背負いつつ、未来を創造する新しい時間論の提案。

〈令和イキ告派〉は、未完成でありながらも、思想的に「未熟な存在」であることを積極的に肯定する運動である。思想の目的は「解決」ではなく、「問いを問い続けること」、そして「不完全な問いを抱えたまま前進すること」にある。

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