バリア・ブンタウ省前史③
学校法人グループ:グエンホアン(NHG)集団とバリア・ブンタウ大学
令和六年、共和社会主義越南八十年、西暦2024年大晦日のきょう(2024.12.31、ただし越暦の大晦日は2025.1.28)は、バリア・ブンタウ前史の締めくくり(③)として、バリア・ブンタウ大学について触れておこう。ベトナム東北部の莫氏、北部の黎朝・鄭氏、中部の阮氏の三者が協力と抗争を繰り返した三国鼎立時代(1558-1677:阮氏の存続は1558-1777)、広南阮氏 初代棟梁の諱(いみな)は阮潢(げん・こう, Nguyễn Hoàng, 大越黎朝 弘定十四年≒1613没)といい、時に仙主(Chúa Tiên)と称した。フエ王宮にあるその廟号は太祖廟である(阮朝太祖)。1999年8月19日、ホーチミンシティー・ブイティースアン通り(この通りの名は広南阮氏を滅ぼした西山阮氏の女将軍 裴氏春にちなむ)で、阮潢の名にちなんだ学校法人グループ:グエンホアン(NHG)集団が産声をあげた。当初は情報技術(IT)企業だったグエンホアン集団は、やがて大学や国際学校など教育機関への投資を開始し、2015年以降、①ホンバン国際大学(鴻厖国際大学、ホーチミンシティー・ビンタイン区)、②バリア・ブンタウ大学(巴地頭頓大学、ブンタウ市)、③ザディン大学(嘉定大学、ホーチミンシティー・ゴーヴァップ区)、④ホアセン大学(花蓮大学、ホーチミンシティー第一区)、⑤ミエンドン工芸大学(沔東工芸大学、ドンナイ省トンニャット県)からなる、NHG大学システムを形成した。NHG集団本部はホーチミンシティー第三区ファムゴクタイク通りのアイタワー(iTower)にある。バリア・ブンタウ大学はNHG大学システムに二番目に参加した大学である。
2015年にNHG大学システムに参加したバリア・ブンタウ大学(2006創立)は、バリア・ブンタウ省ブンタウ市にある民立大学(đại học dân lập, people founded university)であり、省内唯一の総合大学である。ブンタウ市(人口約50万人)は石油基地、港湾都市であり、バリア・ブンタウ大学のほかに、国立ハノイ・ベトナム鉱山地質大学(1966創立)ブンタウ校舎、国立ホーチミンシティー交通運輸大学(旧航海大学南部分校、1988創立)ブンタウ校舎など、国立単科大学の分校がある。バリア・ブンタウ大学の2023年時の全学生数は約5200名、うち最終学年(4年次)に在籍する全学科学生総数は約1300名である。
バリア・ブンタウ大学は、日本貿易振興機構(JETRO)の「ベトナムの地方大学と日本企業等との連携可能性に関する調査」(2021)において、ドンナイ省のラクホン大学(1997創立)と共に調査対象に盛り込まれたふたつの民立大学のうちの一である(pp.107-112)。ベトナム民法第220条が規定する民立学校(trường dân lập; people founded school)は、地域コミュニティーが所有する学校(日本風に言えば第三セクター学校)であり、法律の条文上は私人・法人の所有に属さない。故に、バリア・ブンタウ大学は、法律上厳密にいえば、NHG大学システム傘下というより、NHG集団の出資を受ける第三セクター大学となる。とはいえ、ベトナム政府は民立大学を段階的に私塾大学(私立大学)に移行させる方針であり、バリア・ブンタウ大学も将来的に私立大学に移行する。なので、JETRO調査(2021)では、民立大学は私塾(私立)扱いとなっている。https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/02/2021/71a1c846e3490ba1/vnm_repo202103.pdf
バリア・ブンタウ大学の所在地と、平西将軍・黄門チュオン・ディン(張公定)
ブンタウ深水港(代表的なものは西のカイメップ港と東のブンタウ港)は1775年ごろポルトガル人・フランス人らにより発見・開発され、1802年以降阮朝へ引き継がれたが、1862年の越仏戦争における敗戦で再び阮朝からフランスに引き渡され、灯台が建てられた。バリア・ブンタウ大学の現在地(80 Trương Công Định Street, Ward 3)は、1862年以降、ティエンザン省(前江省)のゴーコンなど南部各省で抗仏闘争(対フランス・レジスタンス)を指揮し、嗣徳十七年(1864年)に仏軍(白鬼軍)の包囲の中で自害した阮朝の平西将軍「黄門」チュオン・コン・ディン(張公定)通り80番地である。「Ward 3, Vung Tau City」(頭頓市第三坊)は阮朝がブンタウに置いた沿岸警備隊「勝三」(タンタム)の駐屯地だった。チュオン・コン・ディンの死後、英雄叙事詩「陸雲仙」(蓼雲仙, Lục Vân Tiên)で知られる詩人グエン・ディン・チエウ(阮廷炤)の作と伝えられる「張公定誄歌」が南部で人口に膾炙し、多くの南部人が「黄門」チュオン・ディン将軍の死を悼んだ。
バリア・ブンタウ大学のモットー「ひらけ耳!」(ephphatha!)
日本や欧米の高校及び大学には、浜松聖星高等学校(旧海の星高等学校)の「stella maris!」(海路を導く星たれ!)、米国ハーヴァード大学の「veritus!」(ヴェリタス/真理を!)、仏国パリ大学の「hic et ubique terrarium!」(ユビキタス/ここでもどこでも!)のように、ギリシャ語・ラテン語由来の校訓(モットー)をもつものがある。バリア・ブンタウ大学は本来民立大学(第三セクター大学)であり、「タインコン(成功)の為のチャイギエム(体験)の場:nơi trải nghiệm để thành công」を標語(スローガン)とする。大学はカトリック/キリスト教精神とは無関係である。しかし、仏国が1862年に建てた「カップ・サンジャックのファール(phare=lighthouse)」(航海者の守護聖人ヤコブの灯台、1913年に現在の形に改築)がバリア・ブンタウ省ぜんたいの象徴であるためか、大学のロゴはカトリック風であり、ギリシャ語新約聖書「マルコによる福音書」第7章34節の、イエスが発した中期アラム語からとられた校訓「ephphatha!」(エパタ/ひらけ耳!)をもつ。これはイエスが聾者を治療するときに発したことばとされる。アラム語はヘブライ語やアラブ語と同系であり、「アリババと四十人の盗賊」の「ひらけゴマ!」のアラブ語原文も、エパタに似た「イフタ!ヤー・シムシム iftaḥ yā simsim」である。
二進法の 0101=第五卦 需/じゅ(待て!)と、10101=第二十一卦 噬嗑/ぜいごう(嚙み砕け!)
バリア・ブンタウ大学の校章(ロゴ)の上段はローマ字表記による英語式略称BVU。中段右上はブンタウの象徴カップ・サンジャック灯台(Le phare du Cap Saint-Jacques:聖ヤコブの岬灯台)の絵、中段左上はサンジャックのコキーユ(coquille=shell, 聖ヤコブの帆立貝)の絵、中段下は左右に同じライプニッツ二進数が書かれた本の絵。下段はギリシャ語聖書「マルコによる福音書」7-34の中期アラム語にちなむ校訓「エパタ」(ひらけ!)で、カトリック風である。偶然だが、ブンタウには、英国シェル社(Shell)からの、液化石油ガスLPG受入基地もある。ロゴ内には、情報技術(IT)企業から出発した学校らしい、また儒教を家学としたグエンホアン(阮潢)にちなむ学校らしい、儒教の聖典 四書五経の易経の二進法を使った暗号のようなものが記されている(ちがっていたら、ごめんなさい)。ロゴ内の本の左右両頁に書かれているドイツのカトリック神学者・数学者ライプニッツ(1646-1716)の二進数の上:0101=0000 0101は、「易経」の六十四の卦でいえば ¦|¦| = ¦|¦|||、即ち十進数の5=第五卦(需/じゅ:待て!)である。ライプニッツの二進数の下:10101=0001 0101は、「易経」の六十四の卦でいえば |¦|¦¦|、即ち十進数の21=第二十一卦(噬嗑/ぜいごう:嚙み砕け!)である。耳をひらき、待て、そして噛み砕くように(ゆっくり確実に)学べ。それがバリア・ブンタウ大学の真のモットーなのだろう。
バリア・ブンタウ大学の現行(2023-2024年度)の学科構成
工学(産業用電力・民用電力・エレクトロニクス学、化学工学、自動車・制御技術・自動化工学・メカトロニクス学、建設土木学、食品工学・ハイテク農学、情報技術学):
経済・経営(会計学、ロジスティクス学、海洋経済学、経営学・不動産):
教育学(英語教授法);
外国語学(英語学・東洋学):
社会科学(心理学):
医学(看護・介護):
観光学(旅行観光学、レストラン・飲食店管理、ホテル・マネジメント):
以上で「バリア・ブンタウ前史」①②③を終えることにする。ブログの続きはまた来年(令和七年)元旦に!