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パチンコ依存症と優しい祖母の悪口雑言

「人は鏡」

と言う言葉を聞くけれど、私にとって実母は
反面教師でしかなかったように思います。

小学校3年生くらいまで、不登校だった私は、4年生くらいから
やっと学校に慣れてきて(環境に慣れるのに時間がかかったんですね)
通常登校できるようになっていました。

当時流行っていたピンクレディの音楽に合わせて、友達と一緒に歌ったり
踊ってみたりと、その頃の私は普通に友達と会話を楽しみ
学校すらも楽しんでいました。

そんな中、私が小学校高学年くらいになると、
両親は
パチンコに出かけることが増え、
最終的には依存症になっていましたね。

それまでは、夫婦ゲンカが絶えない日々が長く続いていたのに
いつの間にか夫婦二人で

共通の趣味を

見つけたのです。
ただ、パチンコに行かない時は、お金の事での夫婦喧嘩は
絶えませんでしたが・・・。

最初は、雨で畑仕事ができないときだけのパチンコ通いが・・・。
次第に、天気が良いにもかかわらず、朝早くから夜遅くまで
出かけたまま帰ってこない。そんな日が多くなって行きました。

日曜日にパチンコに行くときは、弟達3人を連れて外出。
朝から夜遅くまで帰ってこないことは度々。
私は祖母と二人でお留守番。

その間、祖母は母の悪口を言い続ける。
「おまえの母親が、父親をパチンコに連れだしてる。
ほんとうに困ったもんだ。家の事はなにもしないのに・・。
パチンコに行くときだけは、ウキウキしながら出て行く・・・。」
いつもはとても優しい祖母が、とても険しい目をして悪態をつく瞬間が
とても辛く、いたたまれない時間だった。


優しい祖母から吐き出される悪口雑言


「母が家の事を何もしない。父親を連れて弟達をつれて
パチンコに行く。それは全部おまえの母親のせいだ!!」
母親に向けられる敵意がそのまま私に向けられている。

その言葉は私自身を非難されているよう・・・。

その時間は苦しく逃れたいのに、でも祖母の側を離れてはいけない
気がして、
ずっと「うんうん」とうなずくだけの時間が流れていた。

平日でも、両親のパチンコ通いは続く。
学校への提出書類があっても、深夜に帰宅する両親とは
話ができず、私が弟達の分の書類も手書きする。
予防接種の用紙も私が記入。その当時は、体温計で計測することなく、
体温も適当に数字を記入して提出してたっけ・・・。
今思うと恐ろしい事をしてたんだな・・と思う。

「母のようになってはいけない」


優しい祖母の口から吐き出される悪口雑言

良い子じゃないといけない!良い母親にならなきゃいけない!!


という言葉に変換され
その後の私の人生にずっとつきまとっていた言葉でした。

両親のパチンコ依存症は、私が成人してからも治ることは
ありませんでした。


それから数十年後、実家は自己破産。
祖母や両親、弟は離散。私は自分の家庭を持って数年後の出来事でした。

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