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🟫イタリア史3(ローマ:共和制の時代)(BC499年〜)
🟫イタリア史3(ローマ:共和制の時代)(BC499年〜)
🟩BC499年:【レギッルス湖畔の戦いに勝利】
王政を諦めきれないタルクィニウス一派を
レギッルス湖畔の戦いで破り
元老院とローマ市民で構成する共和制ローマが誕生する。
🟩BC396年:【ガリア人の侵略】
ローマは
イタリア半島北方のエトルリア人の都市を次々と攻略し、
カミルスが主要都市ウェイイを落とす。
ウェイイはローマよりも数段発達した都市であったため、
ローマ人はこの地を首都にしようとした。
これに反対したマルクス・フリウス・カミルスは、
ローマを追放されてしまう。
カミルスは冬場に戦地で冬営したことや、
略奪を禁止したことなどから兵士達に人気がなかった。
しかしエトルリア人が弱体化したことで、
その向こうの北方の地であるガリア(現フランス)に住む
ガリア人達が勢力を強め、
一気にローマへと攻め込んで来た。
🟩BC390年7月:【アッリアの戦いに敗北】
アッリアの戦いは、
ガリア人が初めてイタリアを侵略した際に起きた戦いである。
テヴェレ川の支流のアッリア川付近で行われた。
この戦いでローマ側が敗北し、
ガリア人がローマを略奪する経路が開かれた。
ローマは街の半分を侵略され、
神殿は焼かれた。
ローマ人達は財産を全て捧げることで
ガリア人達は退いていったが、
屈辱にまみれたローマ人達は、
復讐のためカミルスを呼び戻すこととした。
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