
🟫イタリア史27(古代ローマ帝国:44代〜)(AD283年〜)
🟫イタリア史27(古代ローマ帝国:44代〜)(AD283年〜)
🟩AD283年:【44代皇帝:ディオクレティアヌス】
【ガイウス・アウレリウス・
ウァレリウス・ディオクレティアヌス】
ダルマティア属州の属州都サロナの生まれ。
先帝ヌメリアヌスの崩御後、
軍に推戴されて
小アジア西北のニコメディアで皇帝に即位した。
この時、
プラエフェクトゥス・プラエトリオであった
ルキウス・フラウィウス・アペルを
ヌメリアヌス暗殺の咎により処刑した。
🟩AD286年:【44代皇帝:ディオクレティアヌス】
【分割統治】
ディオクレティアヌスは、
広大なローマ帝国の統治と防衛を
単独で行うのは困難だと考えられた。
そこで軍の同僚だったマクシミアヌスに
皇帝権を分与して
彼を西方を担当する正帝(西方正帝)とし、
自身をニコメディアを拠点に
東方を治める正帝(東方正帝)とした。
ここに東方正帝と西方正帝による
帝国の分担統治制度が確立した。
🟩AD292年:【44代皇帝:ディオクレティアヌス】
【4分割統治】
さらにそれぞれの皇帝が
「正帝」(アウグストゥス)として
「副帝」(カエサル)を任命し、
彼らにライン川とドナウ川の防衛線の維持に当たらせた。
この制度は
テトラルキア(四分割統治、四分治制)と呼ばれ、
帝国は事実上
4人の皇帝によって統治されるようになった。
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