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🟫イタリア史21(古代ローマ帝国:14代〜)(AD117年〜)

🟫イタリア史21(古代ローマ帝国:14代〜)(AD117年〜)

🟩AD117年:【14代皇帝:ハドリアヌス】
【プブリウス・アエリウス・トラヤヌス・ハドリアヌス】
ハドリアヌスはトラヤヌスの従兄弟であり、
元老院議員でもあった
父はヒスパニア(スペイン)にあった属州
バエティカの町イタリカ出身であり、
ギリシア文化に大きな関心を示した事から
周囲に「グラエクルス(小さなギリシア人)」と呼ばれた。
99年に皇帝に就いたトラヤヌスと共に
ローマへと帰還した。
ダキア戦争への従軍を経て
順調に昇進を重ねていったハドリアヌスだが
経歴に特筆すべき点はなく、
後継者指名については謎が多い。
13代トラヤヌスが病没すると、
遺言でハドリアヌスを養子とし、
自身の後継者としたという報せが
シリア総督を務めていたハドリアヌスの下に届き、
ハドリアヌスは配下の軍団の支持の下で
元首への就任を宣言した。
しかしトラヤヌスの遺言の信憑性は
古代より疑問視されており、
歴史家カッシウス・ディオは
父親からの伝聞を根拠として、
遺言が親衛隊長官となっていたアッティアヌスと、
ハドリアヌスに好意的なプロティナによる
捏造だったとしている。
巷ではトラヤヌスは、
ダキア戦争やパルティア遠征で功績のあった
ルシウス・クィエトゥスを
後継者にしようとしていたのだと囁かれたという。
また、トラヤヌスの死後間もなく、
トラヤヌスの侍医が不審死し、
死後10年以上経って
遺灰がローマに移送されるという不自然な出来事は、
何らかの陰謀が存在した事を示唆してるともされる。
トラヤヌスが
生前にハドリアヌスを後継者に決めていたという
明確な証拠はなく、
遺言が本物であったのかについては、
後世に考古学調査等を踏まえた上での
活発な議論が交わされたが
真相が解明されたとは言い難い。
当時からハドリアヌスの
元首就任の正当性には疑問が呈されていたと言える。
トラヤヌスから十分な権力移譲の準備がなされなかった事は、
ハドリアヌスに
著しく不安定な立場での地位の継承を
余儀なくさせた。

🟩AD117年:【14代皇帝:ハドリアヌス】
【4元老院議員処刑事件】
ハドリアヌスに先んじローマへ帰還した
アッティアヌスが、
以下の有力な4名の元老院議員を
ハドリアヌス暗殺を企てたとして処刑した。

・ガイウス・アウィディウス・ニグリヌス
110年の執政官。
・アウルス・コルネリウス・パルマ
アラビア遠征で活躍した2度の執政官経験者。
・ルキウス・プブリウス・ケルスス
2度の執政官経験者。
・ルシウス・クィエトゥス
パルティア遠征で活躍した。

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