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vol.2 高学歴有名銀行勤務のオロゴンさんが東京で力尽き、不動産賃貸業で人生を再生した話
オロゴンさん サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(55:45)は購入後に視聴可能。
第二話(全六話)
「この資料のこの部分!ロジック通ってねンだよ!あぁ!?」
反射的に内臓が縮むのを感じる。
こうして上司の怒号を聞くのは何度目なのか、わからない。
胃が、心臓が、キュッと縮むこの感触。
いずれは慣れると思っていたが、未だに慣れそうな兆候はない。
延々と続く上司からの罵倒のシャワーを頭から浴びながら、それでも心の奥底まで抉られぬよう、彼は懸命に遮断のバリアを張っていた。
肉体から切り離された意識が宙に浮き、部屋を上から俯瞰する。
大勢居る同僚は皆、自分には関係のないという顔をしながらも聞き耳を立て、ときたま上がる大きな恫喝の声に慄く。
その反応は、動物としての本能であった。
威嚇の声に身体が反応することは、彼らが動物として正常であることを示していた。
この光景は東京にある巨大オフィスビルのフロアの片隅で、展開されていた。
日本の金融機関で屈指のーーいや、頂点のひとつ、通称メガバンク。
その東京本社という銀行マンとしてのひとつの到達点とも言える場所である。
怒涛の如く繰り返される恫喝を一身に浴びているのはーーあぁ、俺だ。
厳しい受験戦争を勝ち抜き、誰もがうらやむ大企業に就職したはずなのに。
どうしてーーどうして。
こうなって、しまったのかなあ…
上司の怒号を神妙な面持ちで受け止めながら、彼ーーオロゴンの意識は意図せず少年時代を追憶していたーー
ここは九州南部、とある地方都市。
温暖な気候に恵まれた、南国の風薫る田舎町である。
最初は何のことはない、些細なきっかけであった。
「オロゴン君も、塾に来てみない?」
「塾?」ーー当時10歳ほどのオロゴン少年は初めて耳にする単語であった。
彼の物語はこの時から始まったのかもしれない。
そこからは一種の既定路線であった。
受験戦争への参戦、名門私立校への入学。
そして就活戦線へと時は流れていく。
彼はその中で特に疑問を感じることなく、あれよあれよと流されながら、敷かれたレールを歩き続けた。
彼には才能があった。
学校のお勉強に対する優れた理解力と記憶力。
それは特段な努力を必要とせずとも物事を理解できるという、まさに天賦の才であった。
そうして辿り着いた先がーーいや、漂着したといった方が適切かーー
いわゆるメガバンクであった。
当時、就活生からの人気を集め人気ランキングを独占した大手都市銀行、通称メガバンク。
メガバンクに入ることさえできれば、人生は薔薇色とされた。
何せあの銀行の頂点たるメガバンクなのだから。
時勢も手伝い、彼はメガバンクへの入行を果たす。
そうして新人研修を受けるため、かれは研修所へ向かう電車に揺られていた。
エリート社会人としての生活を想像する。
これからは金融の専門知識を身に付けて、プロフェッショナルの仕事していく。
そのための知的な勉強が始まるのだと、総身が身構える。
まだ見ぬ同僚達との出会いに高鳴る期待を抑え込めず、心も浮き立っているのを感じる。
思わず、口元も緩んでしまう。
そうして研修所に到着した彼を、また同胞を待っていたのは、前時代的な軍隊生活であった。
一流大学を卒業して難関である就職活動をも突破した俊英達を迎えたのは、「群れ」の順位を叩き込む教育ーーいや「調教」であった。
「人事部」という銀行において最も恐れられる部署に所属し、その強権を振りかざす先輩社員。
為す術なき新人達は恐怖に支配され恐慌状態に陥る。
それまで蝶よ花よと、神童と持て囃されてきた俊英たちを待っていたのは、理不尽と人治主義渦巻く、勤め人の「群れ」社会であった。
それは俊英たちの牙を抜き、反抗心を押さえつける予備訓練。
まさに銀行という特殊な「群れ」の縮図。
そこで生きていくための基礎教育であったとも言えよう。
この試練に適応し、調教をされなければどのみ道、銀行という「群れ」では生きてはいけぬ。
適応は必須であった。
この洗礼を精神(こころ)と身体(からだ)で咀嚼して、彼等は各所へ配属されていく。
かくして若き日のオロゴン君は地方支店へと送り込まれていくのであったーー
本作は、高偏差値の高校から大学へ進学し、旧来の価値観によって大企業サラリーマンとなったオロゴン氏の半生と、そこからの脱却の過程を振り返るオーディオである。
彼は昭和の末期に生まれ、平成中期を駆け抜けた。
氏はまさに、いわゆるエリート会社員としての生き様が理想とされた時代の、最後の徒花(あだばな)。
高度経済成長期、バブル期を経て理想とされたエリート高給会社員。
そのための受験戦争による高学歴の椅子取りゲーム。
この生き方が理想とされ、多くの人が希い、その椅子に挑んでいった生き方。
それは、実は幻想であったということは広く知られるようになった。
その幻想が醒める直前の、最後の世代。
そこを生きたのがオロゴン氏であった。
昭和、平成の時代では勤め人の花形とされた「銀行員」という職業。その生き方。
一昔前、銀行員といえば高収入で安定した職業であり人々の憧れであった。
憧れで塗り固められたその像は、しかしながら一枚皮を剥けば、冷酷で醜悪な人間の本性の塊であった。
そのことを深く知るものはそうーー銀行員だけなのである。
某「やられたらやり返す」ドラマや、転職サイトのクチコミでその内情が知れ渡り、メッキは剥げた。
「銀行員」という職業が、かつての輝きを失って久しいこの令和の時代に、本作が問うのは激務高給勤め人の是非である。
激務高給は、「人生」という切り口においては幸せをもたらさない。
そのことを経験者のオロゴン氏は語ってくれる。
多くのサンクコストを抱え、逃げ場がないと思い込み、途方もない暗闇を覗き込んだ氏だからこそ語れる領域がある。
家庭は崩壊寸前、自身の体調もおかしくなっていく中で、それでも抜け出せなかった状況は掛け値なしの異常事態。
精神の死であった。
そこから生還したオロゴン氏の体験談は、同じような境遇にある人々への救済となり得る。
いわゆる激務高給で消耗している現役勤め人、そしてそれを志しつつある学生諸君に本作は聴いてもらいたい。
激務高給に、救いはない。
人生で大切なもの。
健康、家庭、安らぎーーそれらを格安で売り渡して得る端金(はしたがね)に、何の意味があろう。
臨界を極めた者の肉声には、魂が宿る。
つづく
ヤコバシ著
「この資料のこの部分!ロジック通ってねンだよ!あぁ!?」
反射的に内臓が縮むのを感じる。
こうして上司の怒号を聞くのは何度目なのか、わからない。
胃が、心臓が、キュッと縮むこの感触。
いずれは慣れると思っていたが、未だに慣れそうな兆候はない。
延々と続く上司からの罵倒のシャワーを頭から浴びながら、それでも心の奥底まで抉られぬよう、彼は懸命に遮断のバリアを張っていた。
肉体から切り離された意識が宙に浮き、部屋を上から俯瞰する。
大勢居る同僚は皆、自分には関係のないという顔をしながらも聞き耳を立て、ときたま上がる大きな恫喝の声に慄く。
その反応は、動物としての本能であった。
威嚇の声に身体が反応することは、彼らが動物として正常であることを示していた。
この光景は東京にある巨大オフィスビルのフロアの片隅で、展開されていた。
日本の金融機関で屈指のーーいや、頂点のひとつ、通称メガバンク。
その東京本社という銀行マンとしてのひとつの到達点とも言える場所である。
怒涛の如く繰り返される恫喝を一身に浴びているのはーーあぁ、俺だ。
厳しい受験戦争を勝ち抜き、誰もがうらやむ大企業に就職したはずなのに。
どうしてーーどうして。
こうなって、しまったのかなあ…
上司の怒号を神妙な面持ちで受け止めながら、彼ーーオロゴンの意識は意図せず少年時代を追憶していたーー
ここは九州南部、とある地方都市。
温暖な気候に恵まれた、南国の風薫る田舎町である。
最初は何のことはない、些細なきっかけであった。
「オロゴン君も、塾に来てみない?」
「塾?」ーー当時10歳ほどのオロゴン少年は初めて耳にする単語であった。
彼の物語はこの時から始まったのかもしれない。
そこからは一種の既定路線であった。
受験戦争への参戦、名門私立校への入学。
そして就活戦線へと時は流れていく。
彼はその中で特に疑問を感じることなく、あれよあれよと流されながら、敷かれたレールを歩き続けた。
彼には才能があった。
学校のお勉強に対する優れた理解力と記憶力。
それは特段な努力を必要とせずとも物事を理解できるという、まさに天賦の才であった。
そうして辿り着いた先がーーいや、漂着したといった方が適切かーー
いわゆるメガバンクであった。
当時、就活生からの人気を集め人気ランキングを独占した大手都市銀行、通称メガバンク。
メガバンクに入ることさえできれば、人生は薔薇色とされた。
何せあの銀行の頂点たるメガバンクなのだから。
時勢も手伝い、彼はメガバンクへの入行を果たす。
そうして新人研修を受けるため、かれは研修所へ向かう電車に揺られていた。
エリート社会人としての生活を想像する。
これからは金融の専門知識を身に付けて、プロフェッショナルの仕事していく。
そのための知的な勉強が始まるのだと、総身が身構える。
まだ見ぬ同僚達との出会いに高鳴る期待を抑え込めず、心も浮き立っているのを感じる。
思わず、口元も緩んでしまう。
そうして研修所に到着した彼を、また同胞を待っていたのは、前時代的な軍隊生活であった。
一流大学を卒業して難関である就職活動をも突破した俊英達を迎えたのは、「群れ」の順位を叩き込む教育ーーいや「調教」であった。
「人事部」という銀行において最も恐れられる部署に所属し、その強権を振りかざす先輩社員。
為す術なき新人達は恐怖に支配され恐慌状態に陥る。
それまで蝶よ花よと、神童と持て囃されてきた俊英たちを待っていたのは、理不尽と人治主義渦巻く、勤め人の「群れ」社会であった。
それは俊英たちの牙を抜き、反抗心を押さえつける予備訓練。
まさに銀行という特殊な「群れ」の縮図。
そこで生きていくための基礎教育であったとも言えよう。
この試練に適応し、調教をされなければどのみ道、銀行という「群れ」では生きてはいけぬ。
適応は必須であった。
この洗礼を精神(こころ)と身体(からだ)で咀嚼して、彼等は各所へ配属されていく。
かくして若き日のオロゴン君は地方支店へと送り込まれていくのであったーー
本作は、高偏差値の高校から大学へ進学し、旧来の価値観によって大企業サラリーマンとなったオロゴン氏の半生と、そこからの脱却の過程を振り返るオーディオである。
彼は昭和の末期に生まれ、平成中期を駆け抜けた。
氏はまさに、いわゆるエリート会社員としての生き様が理想とされた時代の、最後の徒花(あだばな)。
高度経済成長期、バブル期を経て理想とされたエリート高給会社員。
そのための受験戦争による高学歴の椅子取りゲーム。
この生き方が理想とされ、多くの人が希い、その椅子に挑んでいった生き方。
それは、実は幻想であったということは広く知られるようになった。
その幻想が醒める直前の、最後の世代。
そこを生きたのがオロゴン氏であった。
昭和、平成の時代では勤め人の花形とされた「銀行員」という職業。その生き方。
一昔前、銀行員といえば高収入で安定した職業であり人々の憧れであった。
憧れで塗り固められたその像は、しかしながら一枚皮を剥けば、冷酷で醜悪な人間の本性の塊であった。
そのことを深く知るものはそうーー銀行員だけなのである。
某「やられたらやり返す」ドラマや、転職サイトのクチコミでその内情が知れ渡り、メッキは剥げた。
「銀行員」という職業が、かつての輝きを失って久しいこの令和の時代に、本作が問うのは激務高給勤め人の是非である。
激務高給は、「人生」という切り口においては幸せをもたらさない。
そのことを経験者のオロゴン氏は語ってくれる。
多くのサンクコストを抱え、逃げ場がないと思い込み、途方もない暗闇を覗き込んだ氏だからこそ語れる領域がある。
家庭は崩壊寸前、自身の体調もおかしくなっていく中で、それでも抜け出せなかった状況は掛け値なしの異常事態。
精神の死であった。
そこから生還したオロゴン氏の体験談は、同じような境遇にある人々への救済となり得る。
いわゆる激務高給で消耗している現役勤め人、そしてそれを志しつつある学生諸君に本作は聴いてもらいたい。
激務高給に、救いはない。
人生で大切なもの。
健康、家庭、安らぎーーそれらを格安で売り渡して得る端金(はしたがね)に、何の意味があろう。
臨界を極めた者の肉声には、魂が宿る。
つづく
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