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vol.6 真実はいつも一つとは限らない~腕利きの探偵が必要になった時に聴く音声~
探偵小沢 覆面太郎弁護士 サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(57:02)は購入後に視聴可能。
第六話(最終話)
本作は、探偵という特殊な仕事をしている小澤さんに、そのリアルと裏側を語っていただいた。本作を聴けば、探偵業界がどういうものであるか、離婚闘争とはどんなものであるか、十分に理解を深めることができる。これはもちろん、本作の大きな目的のひとつであるが、もうひとつ着目したい点がある。それは「仕事」をして、生きていくことについてのエッセンスだ。
小沢さんは、自分の特性を活かせる仕事として、探偵を選んだ。生業(なりわい)にした。自分は体力はないと自覚し、力仕事は厳しそうだと思った。大組織に所属してルーチンワークをすることも不向きだと思った。これに対して、隠れ潜み尾行して、個人で完結できる仕事は得意だし、向いていると思った。以前から興味関心もあった。この特性を利用して生計を立てていく手段、すなわち「仕事」にできないかと探した。自分に配られたカードを最大限に活かす。そして、元々持っていたカードに加えて、自営業者として必要な集客や営業、会計、税務の知識というカードを追加してデッキを組んだというところに着目したい。
人には何かしらの個性、趣味嗜好がある。得意なこともある。それが必ずしも、卓越したレベルに至るかはまた別問題であるが、周囲の人と比較したり、もしくは自分の中で相対的に、上手くできる、早くできる、クオリティが高い、特に苦に感じずに作業できる、などのことがきっとあるはずだ。例えば車の運転を長時間しても平気とか、特定の音楽のジャンルに詳しいとか、プラモの仕上がりに細部までこだわるとか、そういうことだ。これら適正の萌芽を、うまく活かせないかと本気で考えてみたことはあるだろうか?
ともすれば小沢さんも大学時代の友人らと同じように、「とりあえず」で手堅い企業に就職していたかもしれない。しかし仕事は特に楽しくなく、ただサラリーを得るだけの毎日に居た可能性もある。しかし大学卒業時に、自分の生業は何が良いのか?に真剣に向き合い、勇気を出して探偵社の募集に応募したから、今があるのだ。
今の時代は、やろうと思えば様々な稼ぎ方がある。絵を描いて売ったり、自分が知見ある得意なものを仕入れて売ったりすることなどだ。いわゆる宮仕えをすることが「仕事」と呼ばれがちだが「仕事」とは、生計を立てる手段全般を指す。宮仕えの給与、自営業での売上、転売による差益、投資による配当や利鞘、など種類は問わないが、何らかの「仕事」をする必要がある。完全なる不労所得というものはないのだ。そしてその「仕事」の選択もまた自由だ(ただし法に触れない範囲で)。
日本には職業選択の自由がある。そのため、良心の呵責を問わなければ、合法の範囲で顧客を食い物にする業態もある。小沢さんが最初に勤めた大手探偵社のように、依頼の達成を延ばし延ばしにして追加料金を狙っていく方法もあるし、顧客が損をする確率が高いとわかっていても株式を提案する証券マンも近しい。これらは「道徳的にどうなの?」というところはあるものの、違法ではない。
人生における大部分の時間を費やす「仕事」。それに何を選ぶか?というのは人生そのもの、生き方そのものを決定するということでもある。小沢さんの事例は、勇気ある大胆な選択に映るかもしれない。多くの人は、ひとまずの生活の糧として、サラリーマン仕事を日々こなしていると思う。これを否定するのではなく、これに加えて自分の特性に向き合った「仕事」を、何か始めてみるのはどうだろうか。それをやりやすい環境が、今この令和では揃っている。
小沢さんのスタイルで特徴的なのは、SNSで独自集客をしているという点だ。従来、探偵業界は広告を数多く出して、反響営業を低いCVRで狙っていた。近年ではネット広告の一種としてアフィリエイトに出稿し、ブロガーに記事を書いてもらって誘導する方法などもある。しかし小沢さんはそのように広告費をかけて集客するという手法は取らずに、自分自身の発信活動から集客している。各種SNSやYouTube、Voicyなどで認知をしてもらい、信用を得て問い合わせを受けるスタイルを構築している。これはこれからの個人商売の特徴だ。かつては広告会社やテレビ局、出版社など、その分野の専門会社や人脈を通じてしか、自分の作品をリリースしたり、その告知をすることはできなかった。いかに良い作品を作っても、それを世に知らしめて広める方法がなければ、意味はない。
しかし今や日本に住むほとんどの人がその掌にスマホを持ち、発信と受信が自由になった。これを素人革命と呼ぶが、発信のコストが低くなった結果、インディーズ的なマニア作品が、多様なニーズを持つ顧客の手に入るようになってきた。
かつて昭和の時代、日本には土地土地に美味しい個人店があり多様性があった。しかし平成の間にチェーン店が台頭して地元の個人店を駆逐して、また消費者も全国どこでも画一的なものが食べられるというチェーン店を歓迎した。しかし平成末期〜令和においては逆に消費者はチェーン店に新鮮さを見出さなくなり、また小規模な個人店を珍重し好むようになった。
「およそ天下の大勢は分かること久しければ必ず合し、合すること久しければ必ず分かる」
とは三国志演義の書き出しであるが、まさに今は合していたものが分かれるところにある。大資本、大企業による画一的な商品よりも、個人や小企業による多様なオーダーメイド式の商品がまた求められている。尖った一点ものを求めて、個人の職人を、その掌のスマホを使って探し回っている。そしてそれが真に有用なものであるならば、その道の熟練者がインフルエンサーとして拡散し、日の目を見ることになる。ただしホンモノであることが必要だし、長く生き残っていくためには「信用」を重視した商売と発信を、長く長く続けていかなくてはならない。とはいえ、これは大昔からの商売の基本である。これを小利口にハックしようとした者たちはメッキが剥がれて、気がつくと市場から消えている。そういうものだ。
自分の商品を作る。それが有形のものか、無形のものか、もしくはサービスなのか。その形態は問わないが、どんな商品であってもそこには狂気じみた錬磨が必要だ。その練磨を可能にするのは、ただただ自分の趣味嗜好である。
無意味さの忘却、苦にならぬ徒労。すなわち遊興が、その道を開く鍵になるだろう。
をはり
ヤコバシ著
本作は、探偵という特殊な仕事をしている小澤さんに、そのリアルと裏側を語っていただいた。本作を聴けば、探偵業界がどういうものであるか、離婚闘争とはどんなものであるか、十分に理解を深めることができる。これはもちろん、本作の大きな目的のひとつであるが、もうひとつ着目したい点がある。それは「仕事」をして、生きていくことについてのエッセンスだ。
小沢さんは、自分の特性を活かせる仕事として、探偵を選んだ。生業(なりわい)にした。自分は体力はないと自覚し、力仕事は厳しそうだと思った。大組織に所属してルーチンワークをすることも不向きだと思った。これに対して、隠れ潜み尾行して、個人で完結できる仕事は得意だし、向いていると思った。以前から興味関心もあった。この特性を利用して生計を立てていく手段、すなわち「仕事」にできないかと探した。自分に配られたカードを最大限に活かす。そして、元々持っていたカードに加えて、自営業者として必要な集客や営業、会計、税務の知識というカードを追加してデッキを組んだというところに着目したい。
人には何かしらの個性、趣味嗜好がある。得意なこともある。それが必ずしも、卓越したレベルに至るかはまた別問題であるが、周囲の人と比較したり、もしくは自分の中で相対的に、上手くできる、早くできる、クオリティが高い、特に苦に感じずに作業できる、などのことがきっとあるはずだ。例えば車の運転を長時間しても平気とか、特定の音楽のジャンルに詳しいとか、プラモの仕上がりに細部までこだわるとか、そういうことだ。これら適正の萌芽を、うまく活かせないかと本気で考えてみたことはあるだろうか?
ともすれば小沢さんも大学時代の友人らと同じように、「とりあえず」で手堅い企業に就職していたかもしれない。しかし仕事は特に楽しくなく、ただサラリーを得るだけの毎日に居た可能性もある。しかし大学卒業時に、自分の生業は何が良いのか?に真剣に向き合い、勇気を出して探偵社の募集に応募したから、今があるのだ。
今の時代は、やろうと思えば様々な稼ぎ方がある。絵を描いて売ったり、自分が知見ある得意なものを仕入れて売ったりすることなどだ。いわゆる宮仕えをすることが「仕事」と呼ばれがちだが「仕事」とは、生計を立てる手段全般を指す。宮仕えの給与、自営業での売上、転売による差益、投資による配当や利鞘、など種類は問わないが、何らかの「仕事」をする必要がある。完全なる不労所得というものはないのだ。そしてその「仕事」の選択もまた自由だ(ただし法に触れない範囲で)。
日本には職業選択の自由がある。そのため、良心の呵責を問わなければ、合法の範囲で顧客を食い物にする業態もある。小沢さんが最初に勤めた大手探偵社のように、依頼の達成を延ばし延ばしにして追加料金を狙っていく方法もあるし、顧客が損をする確率が高いとわかっていても株式を提案する証券マンも近しい。これらは「道徳的にどうなの?」というところはあるものの、違法ではない。
人生における大部分の時間を費やす「仕事」。それに何を選ぶか?というのは人生そのもの、生き方そのものを決定するということでもある。小沢さんの事例は、勇気ある大胆な選択に映るかもしれない。多くの人は、ひとまずの生活の糧として、サラリーマン仕事を日々こなしていると思う。これを否定するのではなく、これに加えて自分の特性に向き合った「仕事」を、何か始めてみるのはどうだろうか。それをやりやすい環境が、今この令和では揃っている。
小沢さんのスタイルで特徴的なのは、SNSで独自集客をしているという点だ。従来、探偵業界は広告を数多く出して、反響営業を低いCVRで狙っていた。近年ではネット広告の一種としてアフィリエイトに出稿し、ブロガーに記事を書いてもらって誘導する方法などもある。しかし小沢さんはそのように広告費をかけて集客するという手法は取らずに、自分自身の発信活動から集客している。各種SNSやYouTube、Voicyなどで認知をしてもらい、信用を得て問い合わせを受けるスタイルを構築している。これはこれからの個人商売の特徴だ。かつては広告会社やテレビ局、出版社など、その分野の専門会社や人脈を通じてしか、自分の作品をリリースしたり、その告知をすることはできなかった。いかに良い作品を作っても、それを世に知らしめて広める方法がなければ、意味はない。
しかし今や日本に住むほとんどの人がその掌にスマホを持ち、発信と受信が自由になった。これを素人革命と呼ぶが、発信のコストが低くなった結果、インディーズ的なマニア作品が、多様なニーズを持つ顧客の手に入るようになってきた。
かつて昭和の時代、日本には土地土地に美味しい個人店があり多様性があった。しかし平成の間にチェーン店が台頭して地元の個人店を駆逐して、また消費者も全国どこでも画一的なものが食べられるというチェーン店を歓迎した。しかし平成末期〜令和においては逆に消費者はチェーン店に新鮮さを見出さなくなり、また小規模な個人店を珍重し好むようになった。
「およそ天下の大勢は分かること久しければ必ず合し、合すること久しければ必ず分かる」
とは三国志演義の書き出しであるが、まさに今は合していたものが分かれるところにある。大資本、大企業による画一的な商品よりも、個人や小企業による多様なオーダーメイド式の商品がまた求められている。尖った一点ものを求めて、個人の職人を、その掌のスマホを使って探し回っている。そしてそれが真に有用なものであるならば、その道の熟練者がインフルエンサーとして拡散し、日の目を見ることになる。ただしホンモノであることが必要だし、長く生き残っていくためには「信用」を重視した商売と発信を、長く長く続けていかなくてはならない。とはいえ、これは大昔からの商売の基本である。これを小利口にハックしようとした者たちはメッキが剥がれて、気がつくと市場から消えている。そういうものだ。
自分の商品を作る。それが有形のものか、無形のものか、もしくはサービスなのか。その形態は問わないが、どんな商品であってもそこには狂気じみた錬磨が必要だ。その練磨を可能にするのは、ただただ自分の趣味嗜好である。
無意味さの忘却、苦にならぬ徒労。すなわち遊興が、その道を開く鍵になるだろう。
をはり
ヤコバシ著
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