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vol.4 恋愛屋ジュン先生の非モテ童貞卒業講座

恋愛屋ジュン サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(56:21)は購入後に視聴可能。

第四話(全五話)
非モテの特性。それは重度に家畜化され、精神的に去勢されたがゆえに発現する「重たいストーカー気質」に集約される。「精神的に去勢され」と述べたが、これはあくまでも「精神的に」であり、もちろん肉体的には去勢されていない。いやむしろ、家畜化の過程で性欲はより性欲旺盛な個体が厳選されてきたとすら言える。しかしながら精神的に去勢されているので外の世界に対してアクションはできず、鬱々とした性欲が心底に淀みを作る。この非モテにロックオンされたらストーカーされ、襲われて犯されてしまうのではないか。そういうことを、女は本能の深いところで知っている。脳幹に刻みつけられている。そのことを明確に言語化した伝説の名文が、Amazonのブックレビューにある。



「見えないライオンを倒すため。そしてあなたを守るため」

僕の名前はサウザー。誰よりも愛深きゆえに愛を捨てた男。

今日は『非モテコミットと愛』について、恋愛戦士および恋愛工学をこれから学ぶかもしれない皆様と論考を共有させて頂きたいと思います。



これは2015年6月29日、『僕は愛を証明しようと思う。』のAmazonレビューに投稿された文章の冒頭である。この続きもぜひ、本家Amazonのページにて味わっていただきたい。遡ること今から約10年前に、恋愛工学の熱狂があった。多くの恋愛工学生が金融日記に寄稿して、様々な理論やトライアンドエラーを共有し、そしてひとつの時代が完結した。

この『僕愛』は非モテに苦しむ男性諸氏の救いのきっかけとなったことは間違いないが、しかしそれでも、成果を残せたのは一部であったと思われる。そうでなければ、今この令和の世には、これほどまでに多くの「弱者男性」で溢れてはいなかったはずだ。つまり『僕愛』および「恋愛工学」はオスとしての偏差値が一定以上の層にしかリーチできず、また実践して成果を得るためのポテンシャルもまた必要であったということだ。恋愛工学が連載されたメルマガ「週刊 金融日記」はもともと証券マンなど高偏差値の人々が購読するものであったし、その内容も多少難解でかつ有料でもあったので、これに価値を見出して購読する層というのは必然的に高偏差値である。しかしその中でも非モテから脱却しきれなかった者もいるし、彼らに対しては比較的に親切さはなかったように思う。というのも、オスとしての偏差値が高い界隈というのは「自力で何とかする」が基本であり、懇切丁寧な指導がなければ成長できません、という者はそもそも偏差値が高くないのである。ゆえに恋愛工学の限界は、有効に作用できる層がピラミッドの上位のみであったということだろう。いわば、バージョン1.0のアルファ版やベータ版であったのかもしれない。

そして恋愛屋ジュンさんはこの部分をブラッシュアップし、より多くの人々を引き上げられないかと苦心の末、懇切丁寧な指導方法を完成させた。これにより恋愛の技術を伝播できる偏差値の下限は押し下げられ、裾野は大きく広がったと言えよう。この指導方法の詳細については次回、最終話にて語る。本稿では非モテ家畜の「愛」について解説を厚くしていこうと思う。

非モテ家畜にとっての愛。それは有体に言えば「子孫を残したい」ゆえに「セックスしたい」だ。そして、彼らはこれをあまりにも直接的に求め過ぎる。家畜は家畜ゆえに性欲が旺盛だと冒頭で述べた。あたかも餌をねだる家畜のように女に向かってセックスをねだる。下から見上げてハアハアするから、女は「キモッ」と思う。マ◯コは乾き、固く閉じていくのである。

女は、このような弱っちい男には用はない。

先述の彼は、ノンバーバル(非言語的)な方法で自分が「弱っちい家畜」であり、奴隷階級でモテてないということを、雄弁に語ってしまったのだ。冒頭で紹介した「見えないライオンを倒すため。そしてあなたを守るため」というこの短い文章には、多くのメッセージが込められている。詳しくは本家を読んでいただきたいと思うが、要するに女というのは石器時代にリアルに死にかけた体験が多すぎて、基本的に外界が怖いのである。ひとりでは絶対に死んでしまうから、自分を助けてくれるボディガードたる男が欲しい。絶対にだ。だから男に尽くして、その帰りを確かなものにしたいし、自分の子孫はそういう男としか作りたくない。弱っちい男に用はない、嫌悪感を覚えるというのは石器時代から幾星霜の時を経て刻み込まれた本能なのである。

女にとっての「愛」を、リアルに分析しようとするならば、そこにはロマンチックな純愛物語や、甘い言葉は意味を成さない。

ただひたすらに、強くて優秀なオスのつがいになりたいということ。そして子孫を作って遺伝子のバトンを繋ぎたいと願うこと。

この心の作用を「愛」と呼ぼうじゃないか。

どこまでもリアルで、実用的で、甘えがなくて、生々しい。でもそれが生き物としてのリアルなんだと、男は理解しなくてはならない。

これを理解しない限り、間違った愛ーー言い方を変えれば「明後日の方向の愛」「見当違いの愛」を非モテ家畜は繰り出し続けてしまうのだ。そして女に「キモッ‼︎」と唾棄されて大いに傷つく。そして逆恨みしてストーカーするーー

なあ、こういうのはもうやめにしようじゃないか。

ただひたすらに実用的で、強くて男らしい男を目指せばいいじゃないか。「男なら死ねい」を体現して、セックスになど飢えていない、重く捉えていない、代わりは他にもいるから気に入らなければ去ってどうぞ。俺の生き方は俺が決める。付いてきたいなら、好きにしろ。こういうことを振る舞いや態度でノンバーバルで示せたら、女は付いて行きたくなってしまう。そうこれが女が求めている「愛」なんだ。

だから非モテは非モテの思う愛を捨てなくてはならない。それは他の女に目移りしない誠実さだったり、何でも言うことを聞き入れることだったり、高価なプレゼントやレストランを奢ったり、そういう献身的なことではない。それは女にとっての「愛」ではないのだ。

最後に、そのことに気付いた先達の手記をここに紹介して締めくくりたい(以下、引用)。



かく言う僕も、女性に対する免疫が無く、浮気は悪だと、頑なに信じておりました。 一人の女性を心から愛し、誠心誠意、お守りしたい(そしてセックスもしたい) 。純粋に、そう思っておりました。
喜ぶ顔が見たくて、高価なプレゼントや高級レストランも、貢ぎました。 下らないメールのやり取りを通じて、貴重な睡眠時間も、割きました。 この誠意が、いつかきっと伝わると信じて・・・(そしてセックスさせてくれると信じて) 。

ところが、そんな我々純朴なる男子に対する貴女たちの非道な仕打ちと来たら、どうでしょう。 足元を見て、搾取するだけ搾取して、面倒くさくなったら気まぐれに連絡を突然止める。 一人の男が、コケにされ、侮辱され、裏切られた瞬間です。 まさに、谷底に突き落とされた気分になります。 その絶望たるや、悔しさたるや、いかばかりか。 一度、女性読者の方々は、その垂れ始めた貧乳に手を当てて考えて欲しいと思います。

僕は考えました。
なんで一途に女の子を想っているのに(そして慎ましくセックスしたいだけなのに)、こんな風にコケにされにゃならんのか?と。



僕は悟りました。
愛ゆえに人は苦しまねばならぬ!
愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!
なぜ?こんなに苦しいのなら・・・こんなに悲しいのなら・・・

「愛などいらぬ!」

僕は、その時から愛を捨てました。
週刊金融日記を読み、帝王の星が目覚めたのです。

(引用元:週刊金融日記 第63号 2013年6月24日 より)

つづく

著・ヤコバシ

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