#5 共同体の内と外
「そろそろ彼女がほしいなあ」
男がそのように思った時、考えるべきことは、
①群れの中で女を探すか
→会社の女性、大学生ならクラスの女の子
②群れの外で女を探すか
→ネトナン、ストナンなど
大きく2つの選択肢がある。
この両者にどんな違いがあるか?以下にそのゲーム性の違いを論じる。有利不利をよく検討してほしい。
まず抑えねばならない大枠であるが、①の女にあって②の女に無いもの、それは共感性と協調性である。それらは、その女性に群れの他のメンバーからの視線や共同体の持つ空気を気にさせるものになるので、①の女性たちは倫理的、道徳的に見える行動(もちろん外発的な動機による)をさせるというわけである。②の女性には、いわゆる倫理道徳は存在しない。
①の場合、女は群れの中の男からの恋愛アプローチを政治的な力学で捉える。すなわち
「この男は、この群の中で私の序列を上げてくれるのか?評判を高らしめてくれるか?」
と。
なぜ女が群れの中での自分の序列をさまで気にするのか?という点について、本論とはズレるものの軽く言及しておきたいが、女性はやがて母になり、母は群れの中にいるお母ちゃん衆と一緒に赤子を育てねばならないからだ。
たとえば風邪引いて母乳が出なくなった時に、同じグループの他のお母ちゃんに母乳を融通してもらうとか、様々な持ちつ持たれつが絡み合うのである。人間の子育ては一人でやるには限界があって、本来の姿は群れのお母ちゃん衆と共同で行うものである。
だから母親たちはああも熱心に井戸端会議に興ずるのである。
そして、女グループからの排除を恐れる。
なお、旦那の共同体における地位が、お母ちゃん衆内部における序列にも密接に関係していて、高位の男の妻は、お母ちゃん衆から優先して様々な融通を受けられる(母乳や食料)ことになる。子の生存率もアップする。女はその本能に駆動され、「井戸端会議」の中での序列を上げようと頑張るのである。
①のタイプの恋愛の勝ち方はシンプルだ。
男は共同体にひたすら貢献し信頼と信用を稼ぐこと。有用技術を持った人材になるとか大手柄を揚げるとかで共同体内の立場を上げる。こいつは将来この群れの指導者になるだろうと期待の若手になることだ。共同体内の女が寄ってくる。
んで、このマガジンを読んでくださっている方たちは、たぶん①の方式で上手く行かなかった人だろうと思うんだ。分かってますとも。
将来独立を狙っているから今所属している共同体への貢献は戦略的に止めているというかつての筆者のような若者、所属する共同体のビジョンにまったく期待していない人、職場があまりにも現代的にドライに洗練され過ぎており(労働力集約に完全に特化)共同体のテイをなしていないとか、それぞれの事情があるだろう。
筆者の個人の事情を述べると、①の方式では全くだめだった。会社内の女性、というやつ。
将来の独立雄飛を虎視眈々と狙い、共同体の価値観などまるで意に介しないという風だったから、指導部からはもっぱら駄目なやつ扱い、妙齢の女性たちからは気味悪いやつ扱いで終始した。
いや、今の力量でもって当時のことを振り返ると、かつて紅顔の美少年だったころの筆者(今はただのハゲ)には、女性からのアプローチはかなりあったように思う。しかしながら、共同体内での政治力学や評判の変動を踏まえ行われる繊細かつ玄妙な女性のアプローチは、当時チー牛マインド全開だった筆者には難解に過ぎた。
そこそこの恋愛経験がある男ならこぼさずキャッチできたはずの女衆からの微弱な秋波(露骨にやると女性も共同体内での地位が下落するので、あくまで隠密裏の根回しに徹する)は、かくて全て素通りさせてしまったのであった。やがて女衆からはコミュ障無能とみなされる。知能戦のところで述べた通りである。
今からもう10年も前になるのか。藤沢先生の週刊金融日記を読んで、①を捨てて②の方式に挑戦することになって、女修行の快進撃が始まることになる。
詳細は追って進めていきたいが、とりあえずの主張として、読者の皆様におかれましても①で駄目なら②で頑張ろうと申しておきたい。
つづく。
【CM】
筆者が世に出るきっかけとなったラジオ。
もともと恋愛色の強いTwitterおよびnoteアカウントを運営し情報発信をしておりましたが、勤め人を卒業してニートになったことをきっかけに(※実際のところは育児セミリタイアでした、今振り返れば)ビジネス系の発信に切り替えてこれが大ヒット。
このラジオを聴いて勤め人を卒業して、お金の自由と時間の自由を手に入れた人多数。うだつの上がらない現状を打破したい方に送る。